第3回「千葉県子どもの人権懇話会」報告 (2006年11月9日)
実行委員会代表挨拶 池口紀夫 皆さん、こんにちは。 お忙しい中、お集まりいただきましてありがとうございます。 この会は本会で第3回になりますが、会の目的は、県や市町村の行政の方々や人権擁護の専門的な機関であるとか、子どもの人権擁護の実現に取り組んでいらっしゃる市民の活動団体の皆様、それぞれが一堂に会して互いに情報交換をしたり意見交換をしたりすることです。その事によって、千葉県の子どもの人権の実現のための現時点における課題を共有して、官民協働で力を合わせる事によって子どもの人権水準の向上をはかって、子どもたちが本当に安心して自己実現ができる千葉県社会を作っていく事を目的としております。 この在り方は今千葉県の中では、特に県を中心として取り組まれている在り方です。先般、9月の議会で障害者の差別をなくすための条例「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」が成立いたしました。この条例も市民の方々と県の行政が一体となって取り組んだ成果であると言えます。障害者の差別をなくす条例づくりは、世界的には取り組まれている重要な在り方ですけども、我が国においては千葉県が初めて取り組んで成立させたという事で非常に大きな意味を持つものです。障害者当事者と、関わる方々にとってとても大きな意味をもつものですが、そういうことだけではなくて、ここに込められた理念・主旨というものは全ての県民にも大きな意味があるわけです。 それに続いて、今度は子どものための取り組みをぜひ力強く推進していってもらいたいというふうに考えているところです。 第1回の時には、子どもの人権ネットワークをどう作り上げていくかというテーマで会をもちました。 第2回では、子どもへの人権侵害をどう防止するかというテーマで会をもちました。どれも市町村の教育委員会の方々や、子育て支援活動をしている方々、県の児童家庭課の方、あるいは児童相談所、市民団体、様々な立場での取り組みの発表をいただいています。 今回第3回になりますけど、そういう流れの中でテーマを設定しておりますが、さらに緊急的な課題も浮かび上がってきております。 先日私が出席をしました千葉県の教育関係の会議で、あるベテランの臨床心理士の方がこんな事をおっしゃってました。「残念ながら虐待によって命を落としている子どもたちもいます。その他様々な問題が子どもの現状の中で出ています。それに対してどう対応するか、という事で多くの取り組みがなされています。虐待1つ取っても、法律ができマニュアルができ、予算がつけられ、組織ができ、人が増え実践がされます。膨大な取り組みになる。そのたびに多くの税金が使われます。それは必要な事です。しかし、この臨床心理士がおっしゃっていましたけどどうしてもそれは対症療法的、なんかあったらなんとかしようという取り組みなんで、やっぱり元の所の火を消すという取り組みを考えないと、ますますいろんな問題が起きて、ますますマニュアルが出来て法律が出来て、予算もつぎこんで、そういう流れになってしまうじゃないですか。」という事を会の席でおっしゃっておりました。 やはりそういうことからすると、子どもの人権基盤というものを確立していくという以外にはないんではないかとご意見をおっしゃっていました。やはり、家庭や学校や施設の中で虐待というものが起きない為の取り組みをどうするのか、いじめが起きない為の取り組みをどうするのか。学校や家庭やあるいは「相談機関」などの活動の中で、そういう事をどう取り組んでいくかという事が絶対に重要な事だと思います。 「人を大事にしていこう」、「人権侵害をしないようにしよう」ということは、なんといっても子どもの時に、このことの教育がされていることがとても重要であると、各国の取り組みでも証明されているところであります。 そういう面では、学校における人権教育の取り組みというものが、絶対に予防的な意味でも重要です。本日は学校教育における取り組みを発表していただきます。 それから1番向こう側に座っておられる 子ども劇場さんは、傾聴という形で子どもたちの声を受け止めておられますので、そういう活動を通して千葉県の子どもたちがどんな事で思い悩み苦しんでいるのか、そのへんの実態を紹介していただきたいというふうに思います。 それからもう1つ、子どもの人権を実現する基盤作りとしてより積極的に子どもが社会参加をしていけることが重要ですが、社会参加をサポートしていく活動を積極的に展開されている方に来ていただきました。私のとなりに座っていらっしゃるのが佐倉子どもステーション代表の黒木さんです。 こういう主旨で今日のゲストをお呼びしています。 そういうテーマにからんで会場から、のちほどたくさんのご意見をいただいて、お互いそれについて共有し、討論し、この会が終わって明日からまたしっかり新たな展開の中で取り組んでいく力をお互いに共有できれば幸いと思っておりますので、限られた時間でありますけども年に1回の会合ですので大いに活用していただけるようにお願いしたいと思います。ありがとうございます。 提案をしていただくんですけども、5人の方からそれぞれ15分程度提案をしていただきまして休憩に入ります。その後、質疑応答・協議がございまして約4時半に終わりという流れになっておりますので、よろしくお願いいたします。 それでは、お1人目、自分の大切さと共に他の人の大切さを認める事ができる児童生徒の共生というテーマで実践をされております「 @「自分の大切さとともに他の人の大切さを認めることができる児童生徒の育成〜エイズ学習を通じて〜」 発言者・笹岡良雄さん( 発言者・小谷美知子さん( 笹岡さん:それでは改めまして、 小谷さん:千代田中学校の小谷と申します。 笹岡さん:それではこれから私共の方から、エイズ学習を通しての人権教育ということで提案をさせていただく訳ですが、エイズ学習については具体的に人権教育ということをねらったものではありません。しかし、エイズや性の学習を通して、児童生徒が自分の大切さと共に他の人の大切さを認める事ができる、そんな資質が育ってきたのではないかなと私共は実感しております。この後学習の過程について発表させていただきますので、よろしくお願いいたします。 初めに 市内には日本一の数を誇るガス塔や、四街道の名前の由来となる街道と、植えられた松並木、また樹齢370年を超える桜の大木であるとか、豊作を願う裸祭りなど歴史と文化がある町です。市内では小学校が12校、中学校が5校、高等学校が4校、この他に県立の千葉盲学校や四街道養護学校と2校ある文化の町でもあります。 次に人権教育とエイズ教育との関係について、ご説明いたします。 学校における人権教育の主なねらいは、人権についての正しい知識や理解を深めると共に、児童生徒に確かな人権感覚を育成することが大切となります。 一方、エイズ教育については、エイズや性についての正しい知識・理解と共に、命を大切にし、相手を思いやる心の育成が重要となります。そして、この命を大切にし、相手を思いやる心の育成こそが、人権教育における確かな人権感覚を育てることにつながります。このことから、エイズ学習の実践を通して、自分の大切さや、他の人の大切さを認めることができる児童生徒の育成をすることが、人権教育の充実につながると考えております。 それでは、この後、エイズ教育の中でも主に人権教育に関わる内容を中心に、具体的な実践を紹介させていただきます。 小谷さん:本校では、平成14年から16年まで文部科学省の指定を受けて、エイズ教育の推進に取り組んでまいりました。 このエイズ教育を本校では、「命の教育」としてとらえ、テーマを「かがやけ!いのち・ふれあい・学びあい・エイズとともに」と設定をして取り組んできました。17年からは、その成果を継続するために、その学習の時間を各学年6時間ずつ継続教育として設定し、継続させています。 一部をご紹介します。1年生の思春期の体の変化、自分の体を知ることから始めます。外側にあらわれた体の変化を確認し、その変化にはホルモンが関与している事を知ります。そして体の内側で起きている体の変化と女子の月経、そして男子の精通についても学習します。最後にそれぞれに違いがあることを受け止められるように男女差、そして個人差があることを強調しています。 子どもの感想です。 『今私たちは、思春期まっさかりで、何も感じていなくても、体の中はすごく成長している事がわかった。』『人間のからだには、いろいろな差があることがわかった。』『男子と女子で差がある事を知った。』『からだの小さい人や大きい人など、いろいろな人がいていいんだと思った。』 2年生では、生命誕生について勉強し、そのメカニズムと命のつながりを知ります。 皆さんが生まれた時、お家の方はどんな思いだったでしょうと説明。 「相田みつをさんの詩」を思いだしてみましょう。「命のバトンの詩」をもう一回、生徒手帳に書かれているんですが、思い起こしてもらっています。 そして、精子や卵子ができるからだになって、かわいい赤ちゃんがほしいと思ったら、今すぐ皆さんは、赤ちゃんをゲットできるのでしょうか。ということで、受精から着床までをビデオで見てみましょうと、NHKで放送された番組の一部を見てもらっています。 そして、人間の赤ちゃんは、お母さんのお腹の中でどのように成長していくのか、命のメカニズムを見てみましょうと言っています。 お母さんのお腹の中の写真、これはエコービデオなんですけども、お腹の中で赤ちゃんが口を開けたり・あくびをしたり・手を顔の前へさげていたりとかいう状態を子どもたちに見てもらっています。そして次に、生まれてくる赤ちゃんということで、これは出会いのビデオですけども、「生命の創造」というビデオの一部を見て、お母さんが感激して赤ちゃんを抱きあげるところ、お父さんがそれを見て涙を流すシーンなどを見てもらっています。 そしてこうして皆さんは、生まれてきたんですね。だからそれだけで、どんなに素晴らしいかというふうに、締めくくっている。子どもたちは、感想をこのように書いてくれています。 『人は人から生まれて、また人を産む。親は子へ愛を、そして子は成長して親になる。そんな流れの中に自分は生まれた。私はよく死を考えて、命を大事にしなくてはと考える。命の誕生を深く考えたことはなかった。このままだったら私はきっと、私が生まれた瞬間が、どんなものだったかも知らずに、人生を過ごしただろう。父が、母が、何を思い、どんなに愛情をこめて育てられたか知らずにいただろう。今、ここに自分がいることこそ、親からの最大の愛情なのだと私は思った。』女子、 もう一つ、『命が誕生するまでは、かなり大変で時間がかかるんだと実感しました。だからこそ、今ある自分の命を大切にし、精一杯生きようと思いました。そして、まわりにある命を大切にしなければ、ということを改めて思い直せるいい機会になりました。』 こういう風に感想を書いてくれている。 そして3年生では、沐浴実習や保育実習を通して育み・お世話をされて、成長していった自分を知ることで、生の大切さを知ったり、生きることを学習しています。 赤ちゃんの抱き方から体験します。人間の赤ちゃんは、トイレに行く事も、オッパイを飲む事も、おフロに入る事も、1人ではできません。いろいろな人にお世話を受けて成長するんだという事を実感します。 沐浴体験や保育実習の時に受ける生徒の笑顔は、男子も女子も、トビッキリのものがあります。やがて父となり、母となる子どもたちに、虐待をしない子育てをきっとしてくれるのではないかと思います。感想です。 『お母さん、お父さんがニコニコしていたら、赤ちゃんもうれしくなる。泣くことでしか自分の感情を表現できないから、大人が分かってあげることが大切。気持ちを通じ合わせることが大切。思った以上に重く感じた。命の重みだなと思った。 人形なのにすごくかわいく感じたし、自分もちゃんとお母さんになりたいなと思った。生まれてきた子には、ちゃんと愛情を注いであげなきゃいけないと思った。生まれてきてくれてありがとうって思いながら接してあげなきゃいけない。将来役に立つとてもいい体験になりました。』 2年生のエイズと共生では、HIVと人権・情報センター東京支部の塩入康史さんにおいでいただき、エイズ患者さんの気持ちや差別についてお話していただきました。1枚のポスターやキルトに込められたメッセージを伝えていただいたり、香港で作成したキルトを、遠く台湾などで生活に活用していただいたりしています。 子どもの感想です。 『エイズ感染者が年々増えてきていることが残念です。ストリートチルドレンが生きていくために、売春をしているのはとてもかわいそうだと思いました。国によって貧富の差が激しいので、私たちはこんなに貧しいい国のためにどうすればいいのか、考えたいと思います。』 塩入さんのお話を聞いて、自分たちにできることということで、レッドリボンを作成したり、エイズ患者支援のために募金活動を行ったりした時もあります。保健委員会ではパンフレットを作成・配布し、理解と正しい行動選択と差別をしない呼びかけをしています。本日皆さんのお手元にあると思いますので、お読みください。 さらに本校では、1年生は自分の心の状態を知り、自分そして、他人を大切にしながらよりよい関わりができるよう、自己変革を図る。2年生ではコミュニケーションゲームを通してたくさんの人とより良い人間関係を築く。3年生では男女交際のありかたとして、ロールプレイングをしながらコミュニケーション能力を高めるための指導を行っています。 子どもの感想です。 『もし自分がつきあっている男の子に、「いいだろ」みたいなことを言われたらどう対応すべきかを学びました。自分がおこって、「やだよ」みたいな感じでいうと、相手もおこってしまうから、相手の気持ちも考えて、自分の気持ちをはっきりと言うことが大切だと思いました。』 『テ・リ・ヤ・キをちゃんと使えたらいいなと思いました。テ・リ・ヤ・キとは、「提案・理解・やさしく・きっぱり」ということでテ・リ・ヤ・キということでいいなと思った。 これは男女でつきあっていることだけじゃなく、人間関係でも使えたらいいなと思いました。私はこれから5年後、10年後に付き合うことがあると思います。でも、相手のことをよく考えて、自分の意見をはっきり言って、お互いに良く分かり合って付き合っていきたいなと思いました。』 最後にもう1つ生徒の感想です。 3年生・命について、『自分は今まで命について、考えた事がなかった。いつも通りに朝起きて学校に行く、いつも通りに授業を受けて、遊んで帰って、という生活が普通で当たり前だと思っていました。命は、一つしかないという事に気がついた。自分という人は、もう二度と現れる事はないと思っていた。自分だけではなく、他人の命も一つしかないという事を大切にして、人にも優しくして生きていけたらいいと思いました。もっともっと命を大事にして、一人しかいない自分をもっと大切にしたいと思う。私も5年後や10年後はどうなるかわかりません。私は変わっているかもしれません。 でもこれだけは、変わらないと思います。優しさです。私はこの授業で忘れられていた優しさを取り戻しました。 私は小さい頃、両方の足に包帯をまいている車椅子に乗っているおじさんを見ました。帽子を落として拾おうとしているけど拾えない。誰もおじさんを助けようとしない。私はすぐに帽子を取り、「ハイと渡しました。」おじさんはありがとうと言い、頭をなでてくれました。私はとてもうれしかった。 でも私はだんだん大きくなり、それを忘れていた。なりたくてなった訳じゃない。エイズにかかる。差別され一人で苦しんでいる人がたくさんいます。エイズじゃない人でも苦しんでいる人がいます。からだに障害をもった人もいます。私はそういう人たちに優しく手を差し向けたいよ。これから私は、優しさを忘れない人間になって生きたいです。最初に書いたとおり、私も5年後・10年後はわかりません。でも私はずっと優しい人間でいたいと思います。』 自分の命はとても大切、そして他の人も同じように、それぞれの命を大切に思っているという記述は、とても大事だと思います。 自分が大切、そして他の人も大切と思う心が人権意識を高める、差別・いじめ・虐待をなくしていくことにつながると信じています。そんな気持ちが、これからの学習ですぐに身につくとは思いませんが、少しでも多く、このような学習の機会をつくっていけば、いろいろな場面で、その時の気持ちを思い出してくれるのではないかと思います。 笹岡さん:冒頭、私の方からエイズ学習が人権教育ではないと申し上げましたが、今養護教諭からお話があったように、エイズ学習を通して、子どもたちは確かに、人権感覚を高めることができたのではないかと考えています。 以上、 以上で ありがとうございました。 A「チャイルドラインに寄せられた声から見えてきた子どもたちの“こころ”と“くらし”」 発言者・林 眞紀恵さん(NPO子ども劇場千葉県センター理事) 林さん:子ども劇場千葉県センターでチャイルドラインを担当している林真紀恵と申します。よろしくお願いいたします。 「子どもの心、チャイルドラインから見えること」ということでお手元の資料に沿ってご報告したいと思います。 始めに「チャイルドライン」について、まだご存知ない方もいらっしゃるかと思いますので、簡単に成り立ちをご説明します。 「チャイルドライン」は、子どもがかける子ども専用の電話です。18才以下の子どもなら誰でもかけることができます。元々はイギリスにできた子ども専用のヘルプラインです。 今から20年ほど前、イギリスでは子どもへの虐待が深刻な社会現象になっていました。 そんな中で1986年、BBCテレビが「子どもの虐待」をテーマに制作した番組がイギリス社会に大きな反響をもたらして、大人ばかりか子ども自身からもたくさんの反響が寄せられたそうです。その声を受け止めるためにつくられた電話には15000件ものアクセスがあり、これをきっかけに子どものヘルプラインの必要性を痛感してできたのがイギリスのチャイルドラインです。『子どもの心を聴く』を理念にしています。 日本でも、子どもの置かれている状況は年々厳しくなっていました。 中学生が遺書を残して自殺する事件などが起きてしまい、いじめが社会問題として深刻化していました。そんな中で、東京世田谷で「いじめよ、止まれ」を合い言葉に活動を続けてきた人たちがイギリスのチャイルドラインを学びに行くという動きが出てきました。そして日本で初めてのチャイルドラインが世田谷で実施されたのが1998年の3月です。このうねりを受けて、その翌年、「チャイルドライン千葉・子ども電話」が開設されました。 「チャイルドライン千葉・子ども電話」は開設して7年半が経ちました。全国でも世田谷に続いて早い時期に立ち上げましたので、試行錯誤の連続でしたが、開設日を週2回から始めて、今では日曜祝日以外毎日開設しています。これまでに2万件を超える電話を受けてきました。 多くの子どもたちとつながることが出来た理由として、いつでもどこからでもかけられる電話は、子どもたちにとって親しみやすい身近なものになっていることがあると思います。 そして、かけてきた子どもたちが、チャイルドラインの4つの約束に守られていることも大きな理由だと思います。 チャイルドラインは、子どもたちに次のような約束を謳っています。 @いやになったら切ってもいい Aどんなことでも一緒に考える B秘密は絶対もらさない C名前は言わなくてもいい チャイルドラインは指示やお説教はしません。子どもの気持ちを共感的に聴く、心に寄り添って聴くことを大事にしています。子どもが本来持っている力を信じて、自分で解決することの手助けをしていくように努めています。 このような場が身近にあることが大切なのではないかと考えています。 全国では現在34都道府県に64団体が様々な形でチャイルドラインを開設しています。 では、チャイルドラインに子どもは何を求めてくるのかということですが、かかってくる電話からは「聴いてもらいたい」「答えを出すのを手伝って欲しい」「自分の気持ちや考え方を確認したい」「適切な情報や答えが欲しい」「自分を受けとめて欲しい」などと言った声が聞かれます。 開設当初は、いろいろな事例が入ることを想定して、心構えをしながら臨んだのですが、いざ開設してみると、日常的な話なども多く、例えば「聞いて聞いて」みたいな、「とにかく聞いてよ」みたいな電話とか、「今日学校でこういうことがあったよ」とか、そういうことが結構入ってきました。そのなかにいじめの話なども入ってきました。いろいろな電話を受けながら、子どもがこんなにも自分の思っていることがあるのに、それを話せる場、聞いてもらえる場が少ないのではないだろうかと感じたものです。 つぎに内容についてですが、チャイルドラインには、子どもの声を受けとめる、という目的と、子どもの声を聴いた大人の責任として、それを社会に発信し子どもたちがよりよく生きていく環境をつくっていくという目的があります。 電話の事例を出すことについては、守秘義務がありますので、プライバシーに配慮し再構築したものを出すことにしています。子ども劇場千葉県センターでは、今年の2月に報告書のパート2を発行しました。そこに子どもの声としてまとめた中からいくつか紹介したいと思います。 電話の内容で多いのは〈学校生活〉に関することですね。特に友だちの存在というのは大きいようです。例えば「仲間外れにされている」「仲のいい子にきつい事を言ったら、その子のグループ全員が口をきいてくれなくなった」「友だちに嫌われたくないので、嫌なことでも嫌だと言えず我慢している」「自分はみんなと合わせられないのでなんとなく浮いているような気がする」「人との付き合い方がわからない」など、友だちに対しては、とても気をつかっているようすがうかがえます。 〈わかってもらえない気持〉を訴えてくる電話もあります。辛いことや嫌なことがあった時、誰かに話すだけで落ち着くことがあります。子どもたちは本当は身近な人に分かってもらいたい気持ちをこの電話にかけてくるのかも知れません。 例えば低学年の子で、「後ろの子がたたくの」とか、「何もしないのに男の子がぶってくる、どうして」とかそういう話をしてくる子もいます。もしかしたら家に誰かいれば、「今日ね、こういうことがあったの」と言えるのかなと思うこともあります。 「嫌なことをやめてと言えない、私が嫌がっているのを分かってくれない」とか、少し大きくなると、「志望校を受験したいのに、親が安全なところに行けという。頑張ってきたのにやる気がなくなっちゃう」「仲間はずれにされていることを誰かに相談すると、告げ口されるので誰にも相談できない」などというのもあります。 また、〈自分の居場所が無い、何となく不安な気持ち〉も伝わってきます。 「兄弟と比べられる」「このごろ学校に行けない」「悪口言われたので休んでいる。母は休んでいいと言ってくれるが父はあまり言わない」「焦れば焦るほど何もできなくなってしまう」「両親が喧嘩している。もっと話し合って仲良くすればいいのに・・」など。 そして、〈自分の体のこと・性のこと〉があります。性は子どもにとってはとても関心のあることだと思います。特に思春期、高学年から中学・高校にかけての子どもは性の悩みを電話に話してきます。例えば「セックスってなんですか」とかストレートに聞いてくる子もいて、どう答えていいのか困ることもあります。性の電話は共感的に聴くだけではダメなこともあります。性に関しては私たちももっと学びながら子どもの声を受けとめられるようになりたいと思っています。 その他にも〈いろいろな声〉が入ってきます。 「テストでいい点取って嬉しい」「中学生になったら英語があるけど今から不安」「マラソン大会で頑張る」などというのもあります。「携帯におかしなメールが入ってくる。お金を請求されたけど大丈夫?」などというのも件数は多くはないのですが最近でてきています。また、複数でかけてきて交替でおしゃべりをしたり、というのもあります。どれも子どもの意思表示のひとつなのかなと言いながら、電話の受け手は聴いています。子どもはいろいろなことをこの電話に求めてくるのだなと感じています。 時間の関係で事例はこの辺にしますが、もしよかったら後でこの報告書をぜひお手元でご覧になって下さい。 つぎに、電話の子どもの声から伝わってくるものを考えてみました。 以前新聞に「小学6年生が感じるストレス」というアンケート結果が載っていました。 「友だちに気を遣う」「人からどう思われているか気になる」「毎日が忙しく疲れる」というのが上位にあったのですが、電話からも同じような感じを受けています。 子どもたちは友だちとの関係づくりに大人が考えているより気を遣っていると思います。 また、どこかに所属していたい安心していたいという思いも伝わってきます。何気なく言われた言葉に、とても過剰反応をしてしまう子どもいるように思います。コミュニケーションのとり方が分からないで一人で抱え込んでいる様子も伝わってきます。親に心配をかけたくないという子どももいます。電話の内容によっては、周りの助けが必要なこともあり誰か相談できる人がいるかと聞くことがあります。そうすると、学校では先生が忙しそう、家では親には心配をかけたくない、だから話せない、こんな風に思っている子が結構多いと感じさせられます。よく大人は、今の子どもは何を考えているか分からないと言いますが、子どもたちの話からは、大人のこと特に親のことをよく見ているのだなという風に思うことがあります。まわりの大人が、もう少し余裕をもって子どもと向き合っていれば、子どもの状況がだいぶ楽になるのになあと思います。 7年間子どもの声を聴いてきて、それではいま、私達は何をしなければいけないのか、何ができるのかということを、チャイルドラインの視点から考えてみました。 ひとつ目は、子どものまわりにいる人たちが、忙しい中でも、ゆとりのない中でも、努めて子どもの声に耳を傾けていきましょう。ということです。 大人もそうですが、特に子どもは誰かに聴いてもらうことで、エンパワメントされ、安心感・満足感・自己肯定感が高まり、自分も周りの人をも大切にできるようになっていくのだと思います。 詳しいことは資料を見て頂きたいと思いますが、まずは子どもの言い分を充分に聴き受けとめることを大切にしていきたいと思っています。 二つ目は、子どもにとって必要なものを届けたい、幅広く正しい情報を伝えたいということです。 子どもが大人になっていく過程で避けて通れないことに「性」の問題があります。 思春期特有の心身の変化に戸惑いながら悩みを訴えてくる多くの電話があります。興味本意の電話もあります。その中からは誤った情報や性産業に翻弄されている子どもの姿が見えてきます。そして、困ったことには不安を感じて知りたいと思っても、性に関しては何となく人に聞きにくい雰囲気が社会全体にあるということです。 「性」は「生」と直結しています。ひとり一人が自分を大切にし相手を尊重しながら自分らしく生きていくために、「性」をタブー視するのではなくきちんと捉えることが大切かと思います。子どもたちの発達段階にあった正しい性教育の必要性を痛感しています。 また、これは最近出てきていることですが、メディアと子どもとの関係ということで、パソコン・携帯・マスメディアとの付き合い方を学ぶ、メディア・リテラシー教育が大切になってくるのではないかと感じています。メディアを否定的にとらえるのではなくて、幼少時からメディアとの正しい付き合い方を学ぶ、メディア・リテラシー教育を子ども・親を対象に早急に行なう必要があるのではないかなと思っています。 三つ目は、子どもが安心していられる「心の居場所」をあちこちにつくりたいということです。子どもの電話からは「身近に話しを聴いてくれる人がいない」というメッセージが伝わってきます。 大人も子どもも忙しく、ゆったりと話しを聞いてくれる人がいない現状があるのかも知れません。そんな状況を感じている子どもたちは、言いたいことがあっても、諦めたり、飲み込んでしまうこともあるのではないでしょうか。 できれば、家庭や学校を始め、子どもたちが暮らす地域に子どもがゆったりと休息し、友だちや地域の人とも交流できる心の居場所があちこちにできればいいなと願っています。 ある意味で、チャイルドライン千葉「子ども電話」も、子どもにとって安心して自分を出せる居場所のひとつだと思っています。 提案も含めてお話しさせて頂きましたが、次代を担う子どもたちが子どもらしい子ども期を大切に生きられるように、子どもにとってよい環境を皆さんと一緒につくっていきたいと思っています。私からは以上です。ありがとうございました。 B「教職員への人権意識をどう高めるか、また、子どもたちへの人権意識をどう高めるか、その取り組みと課題」 発言者・廣部昌弘さん ( 廣部さん:改めまして、皆さんこんにちは。 最初に簡単に自己紹介をしたいと思いますが、元は中学校の教諭でありまして、中学校の教諭で16年、県教育委員会関係の県行政で6年、中学校の教頭で1年、 この会の代表の池口さんと初めて知り合ったのは、私が「県の子どもと親のサポートセンター」に勤務している時で、池口さんがサポートセンター協議会の委員をされていたのが、平成14年、15年でした。 それから今年度に入りまして、 今日は、15分位時間をいただいていますので、 皆さんはご記憶に残っているでしょうか。今、いじめが非常に問題になっていますが、10年前にも同様の事件が頻発した時期がありました。この10年間、文部科学省が取り組んできた施策というと、「心のホットライン」ですとか、「スクールカウンセラー」ですとか、悩んだ子どもたちの受け皿をどうしようかというような施策だったと思います。個人的な意見を言わせていただければ、冒頭の挨拶の部分で池口さんもおっしゃっていた通り、いじめたり、人の嫌なことをしないようにするにはどうしたら良いか、という視点がどうも欠けていたのではないかという気がしています。 平成13年度からは、「心の教育推進協議会」という名前に変えて取り組んでいますが、そこで提唱したのが、「優しい心」と「ルールを守る心」と「一生懸命取りくむ心」ということで、この3つの心を育成しましょうということで 本日の議題になっている「人権意識」というと、子どもたちには非常にわかりにくいということで、 実は、昨年の11月に、 この3つで、優しい心の調査をしたのですが、この中で、3番目の「友達をいじめたり傷つけるようなことを言ったりしない」で、肯定的に答えなかった子どもたちが小5・小6・中1・中2共通で約3割いました。 これは不思議なことに小5・小6・中1・中2も同じなんですね。35%の子どもが「友だちをいじめたり、傷つけるようなことを言っている」と答えているので、 2つ目は「ルールを守る心」という事で、資料がわたっていると思いますが、6項目で聞いています。それから「一生懸命取りくむ心」という事で1〜5項目ということで聞いています。調査の結果、平成14年度と比較して、平成17年度現在では、小5はほとんど変わっていませんでした。それに比べて、中学校2年生は、非常に伸びており、小5から中2までにどんな経験をする子が「やさしい心」ですとか「ルールを守る心」が伸びてきているのかという事の視点で、 3つの心を育てる為には、1つは親子で一緒にボランティア活動に参加しましょうという事が1つ、学校ではボランティア体験を企画しましょうという事です。2番目は自然体験です。自然体験の多い子がやはり優しい心ですとかルールを守る心が育成されています。3つ目は読書です。読書は圧倒的な差が出ていますので、ぜひ家庭では幼い頃から読み聞かせをしましょうということとか、学校では読書活動を充実させましょうということで、これに基づいて それから5番目は、子ども会・地域での行事にたくさん参加している子どもは優しさですとかルールを守る子が育っているという事です。これは非常に子ども会の方々から喜ばれました。現在ご存知のように子ども会というのは、壊滅状態で、 それからもう1つは、教職員の人権意識を育成するということです。これは、今回のいじめが、教員の言動から始まったなどというのは言語道断なんですが、やはりいろいろな教員がおります。 子どもたちの人権意識を高めるには、やっぱり家庭と学校と地域の連携が大切です。 C 「こどもステーションの日常活動を通じて」−子どもの権利としての「社会参加」− 発言者・黒木裕子さん(NPO佐倉こどもステーション理事長) 黒木さん:皆さん、こんにちは。佐倉から来ました黒木です。 私はだいたい20年位、子どもと共に本当に小さいころから育って高校生になるまで毎日遊びこんでいます。 そこでのゲームをご紹介しますので、今日1本だけご覧ください。右手人指しゆび・左手つぼ、相手のつぼの中に指を入れましょう。わかります?右手人指しゆび・左手つぼ、ずっとつながっていくのね。「ゆびさん、ゆびさん、つかまえろ、ギュッ」と言ったら、つぼをしぼって指をとじる。いいですか、いきますよ。「ゆびさん、ゆびさんつかまえろ」もう一度いきますよ。ギュッと言ったあとに。「ゆびさん、ゆびさんつかまえろ、ギュッ」あのこれは初めてのころ、2人ずつやるコミュニケーションゲームの道具です。 こういう事をやりながらいつもやっています。非常にレトロな事をやります。 資料の1ページ目を見ていただけたら大体もう今佐倉の様子についてはくわしくは話しませんけど、今 それからその次に合計特殊出産率の低下がございますが、なんと しかしながら、子どもが少なくて非常に安全なのかというとそうではなくて、実は4年前に虐待で1人亡くなりました。虐待の相談件数も毎年増えております。そういう状況です。不登校のところは、学校に行っているか行ってないかということで書いてございますが、本当にいっぱいいる状況です。保健室登校とか学校に本当に休みながら行っている子とかもとても多い状況です。 私は実は、地元の小学校で毎年6年生のクラスのキャンプに同行ということでキャンプの先生みたいに行っているんですけど、子どもの数がどんどん少なくなっている状況の中で、年に1クラス・1年生からずっと一緒というクラスがどんどん増えてきて、学校は性格的に閉ざされた空間ですよね。その中でいい時にはいいんですけど、いったん悪くなると悪いほうへどんどんまわっていくということで、私が去年入ったクラスは3年の時に学級崩壊したところです。今でも遊べません。絶対に遊べないんです。遊ぼうよというと2・3人でかたまってしまって皆でワイワイ遊べないんですね。先生もすっごくご苦労されていて毎日の事だからとっても大変なクラスをお持ちで、私も本当に大変だなと思ったんです。そういうクラスが本当に増えているんです。その中で誰と誰が悪いとか学校の先生が悪いとか、本当にそう言う問題では解決できないような状況になっていると私は感じています。ですからいじめをどうしようとかじゃなくて、こういう実体験からお話させていただこうかなって思っているんですね。 こういうところで私たちは 次のページに、佐倉子どもステーションの紙面がありますので見ていただきたいと思うんですが、3ページを見ていただくといいんですけども。佐倉子どもステーションというところは、本当に子どもたちが安心して安全に過ごせる居場所を作るという事と、子どもたちが社会性を少しづつ高めていこうと思っているんです。というのも今の子どもたちってさっきも言いましたけど、とても閉ざされた環境の中で過ごしていると、家庭の中も非常に核家族化していますので、それはそれでまた閉ざされた空間だと思うんですね。 子どもたちが通っている学校、家庭、部活かおけいこ事でしょうけどその3角形であって、とってもコミュニケーション能力が育たない関係になっている。だからまわりの人たちもその子がどういう子だか知らないし、この子もまわりのことを知らないっていう状況がどんどん広がってきているんですね。 私たちは本当に支えていく、社会の中で主体的に生きる糧になる事を教えていこうかなというところをミッションに掲げています。そういうことともう1つは、外のつながりが途切れていて子どもの人垣っていうのがどんどん少なくなってきている現状ですので、多世代でつながっていくっていう事をキャッチフレーズにしています。 5ページを見ていただいて、私たちに何ができるのかというと、本当は今言いましたように、子どもにとって本当に安心で安全な居場所を先ず自分たちで作ることだろうなというふうに思いました。5年位前に乳幼児と親のたまり場を市内3ヶ所に作りました。それは本当に小さい子たちとそのお母さんの自由で安全で安心な居場所なんですけど、本当にこれだけでいいのかなっていうことも考えたわけですね。来た子が良ければいいのか他の子たちはどうなるのといった時に、上の中高生たちと小さい子たちと一緒に交流させる事とか異年齢と関わる事を私たちが考えていかないと、やっぱり違うかなって、いうふうに思いまして、子どものたまり場「ポケット」っていうんですけど、ここに子どもサポーター活動というのを作りました。 今、このへんにチラチラしているのがそうなんですけど、これは遠足で子どもたちがいろんなところに遠足に行くんですけど、ただ遠足だけではなんか足りないよね。社会性を育てるなら小さい頃から社会性だよね。ゴミ袋を持ちながら、本当に2時間半位歩いてあちこちゴミを拾っていくんですよ。そうすると小さい子でもわかるんですけど、みんな大人が捨てたゴミなんです。そこに中高生のサポーターのお兄ちゃん・お姉ちゃんたちが一緒につきそう形になっています。 だからそれをする事で小さい子たちもお兄ちゃん・お姉ちゃんと遊ぶと元気になるし、中高生たちが指導についたりしてますので小さい子の面倒見る、そういう事が可能です。お母さんたちは、今の中高生って「えー怖いんじゃないの」って言っているが、中高生がとっても優しくて温かくて子どもの面倒を見てくれるのね。うちの子も大きくなったらあんな中高生になってほしいなと子どもの将来を夢見ることができる活動です。これは本当に何かと思いついたわけではなくて、やっぱりうちのところに中高生のたまり場もあるんですけど、そこに来てる子どもたちが日常ふっと言うんですよ。 例えば「毎日毎日、本当に学校に行ってて辛くってやっとここに来てホッと一息ついてまた月曜日から頑張るよ」とか、でも学校のせいだけじゃないでしょうと言う。それから「部活をやめたら先生に、部活をやめるのは不良の始まりだよって言われて、非常に肩身の狭い思いをしている」とか、そういう自分の事を言ってくれるんです。 その中で1人、A君という子がいて、とっても小学校の時に優しい子だったんだけど、中学校に入ってから急にしゃべらなくなって、険しい表情でたまり場に来ても何も言わないんですよ。その子のことをどうしようと考えた時に、とってもやさしい子だったから小さい子にふれてもらったらいいかもって思ったのがきっかけです。ですから、なにか子どもたちの状況があった時にどうしたらいいかって本当に考えて出てきた活動は、たいてい長続きしています。どこかで拾ってきた活動は失敗しています。この活動はやっぱりどの子もやりたい時にやりたいだけできるので、今もずっと続いています。今参加している子どもたちが30人くらいおります。 それでたまり場ですけど、今言いましたように中学生のたまり場は「超熟」という名前なんですけど。高校生のたまり場は、みんなで楽しくお茶を飲もうねという事で「お茶会」ということで集まってるんですけど。そこでやっぱりいろんな事を語り合ったり、何も語らなくてもいいし、いるだけでいいというたまり場なので、これがある事でここから活動が生まれるというチャンスがここにあると思います。 もう1つは、子どもの社会性を育てるという事なんですけど、社会性の第1歩っていうのは本当に自分で考えて自分で決めて、いいからやって。そして「あっ、これはこうなんだって自分で知る事が社会性をあげる事だ」と思うんですよね。全ての活動とか事業の中にこういう目的を入れています。 例えば芋煮会するよとなった時に、今は危ないから包丁はダメってところが多いんですけど、2才から包丁は使わせています。左手お手ては猫ちゃんよって感じで、本当に言われたんですけど、口は出しても手を出すなという感じで、大人は見守ることをできるだけ徹底しようとしています。 もう1つは、自分を大切にするということは、先程から何回も同じく出ていますけど、自分以外の人、周りの環境・社会に関心をもっていき大切にすることだ、というふうにしていますので、さっき言いましたような子どもサポーター活動とかあります。具体例にあげてありますので見ていただけたらいいと思うんですね。4ページに5ページに今のことが載っています。 しゃべり場は、これもたまり場の中の子どもの一言から生まれてきました。自分の思いとか親に言いたい事をなかなか言えないよね。でも言いたいよねということがあって、なにか言い合えるような場ってないんだろうかって時に、このしゃべり場っていうのが生まれまして、別にたいしたことないんですけど、誰かがいる時は絶対に反論しないでだまって聞こうという事をお約束して始めるだけなんですね。でも、大人も子どもたちの言う事をちゃんと聞くし、子どもたちも大人たちの言う事を聞きながら「あぁそうか、うちの子はあんなふうに思ってたんだな」と親も納得するようなしゃべり場を子どもたちが運営したりしています。 次は6ページにいくと、「THE WINDS OF GOD」というのがありますけど、うちは鑑賞事業をやってまして、うちの3大事業が生の舞台を見ることが心の栄養ってことと、大勢で遊ぼうよっていうことと、みんなで表現するといいよってことが3大事業なんですけど、その3大事業1つの鑑賞事業の中高生のところを自分たちで全部運営しようよというふうにしてやった事業です。これも本当に頑張ったんですけど、後で言いますが失敗でした。これはたまり場の中から子どもたちの声からでてきた事業ではないんです。実は組織として、やっぱり中高生になったら鑑賞も自分たちで運営する力をつけてあげたいよねという大人の思いから始まりました。 去年はそれなりにやってくれたんですが、今年は失敗しました。なぜ失敗したのかは今言った通りです。子どもたちがやりたい事をやるということじゃなくて、やらせたい事を大人がやらせてしまった1つの実例です。すごく頑張らせたので、最後にとても辛かった、楽しくなかった。たまり場の実行委員会の中で結局時間がないから実行委員会で話をすることになってしまって、子どもたちに安全で安心な時間を奪った結果になったんですね。だからそれは私たちにとっては、やっぱりダメなんだなというのを納得した次第です。 それからその次は、ブックマジックというのがあります。7ページに。これは、成功失敗半分なんですけど、これも実はたまり場ではないんですけど、1人の男の子がクラスの中で学級委員長だったんですけど、学級運営はなかなかうまく行かなくて、クラスは学級崩壊みたいになって来まして、その子は一生懸命まとめようとしたんですけどうまくいかなかったんですよ。とっても感受性豊かだったので、すごく心に傷を持ったなっていうのが周りにいた大人がわかりました。でも社会ではいろんなところに関心を持ってる子だったので、ある日、募金活動でもしてみようかってその子に言ったら「しようよ」っていう話になって、その募金活動がつまりつもってどんどん回数が増えていって、今はこういうふうに虐待NGOの組織とつながっています。 子どもたちがいらない本を集めて、ブックオフに買いとってもらって、それを国際エイズ支援とか本当に海外で学校を作るとか、海外にいろんなものを届ける活動をしている方に届けています。これも彼の思いが固まってつながってるので成功しているんですけど、今年は失敗しました。なぜかというと、今年すごく忙しくて、子どもたちがやりたい子どもキャンプがあり、私たちが子どもたちに押し付けてしまった鑑賞の運営活動があり、6月に実は文科省から依託してもらったんですね。やらなければいけないんで6月にこのブックマジックがありました。結局、子どもたちを追いたててしまったんですよ。その事が組織としての危ういところだなというのを今すごく実感しています。 また元に戻りますが、2ページの方を見ていただいて、今言った事が3番に書いてあります。組織としてというか、結局、大人が提案して大人が子どもたちを引っ張っていく、そういう感覚に組織が陥り易いって事を、皆さんにもお伝えしておきたいと思っています。よく組織で「継続は力だ」と言います。今年やったから来年もいけるよってことで続けていく。でも自分たちは、やっぱり本当に日々いろんな事を抱えて生きていますので、今年やりたいと思っている事がみんなやりたいとは限らないし、子どもたちの1年はものすごい変化に富んだ1年ですから、そこを子どもたちにきちっと享受する、とても大事だなと思うんです。そんなのもありますけど、大人はついつい去年はここまでで来たから、来年はもう一歩上までやってもらおうよって、そこを目指そうよっていうふうにやっちゃうんですよ。本当に私も組織の中に居ますので、そうなるんですね。それがもうジレンマみたいに陥るんですけど、達成感を味あわせようとかあるんです。だからそれをすごく気を付けなければいけないと私は思います。これで失敗したのがさっきの鑑劇の運営ですし、ブックマジックの共同です。いろんなところ目的に共同してやっていく事はとてもいいことなんだけど、それに対して子どもをダシにしてはいけない。抱き込んではいけないという事は、やっぱり理解したいと思います。そういう失敗もしてきました。 最後に4番ですけど、本当に子どもたちが非常に苦しい時に、苦しいって言える居場所を作るという事はとっても大事なことで、聞いてもらえる人もいっぱいいる事はとても大事なんだけども、どんなに苦しくても、私はやっぱり誰か隣にいる人の事を考えられると思うんですね。この前、先生のお話を聞きましたけど、「君は学校に行ってない、いじめられている、でも隣にいるおばあちゃんが、ゴミを捨てるのを助けてあげることはできないか」というようなお話をしてくれました。だからどんなに小さいことでもいいから、何か誰かのためにやるって事はないのかなって事を、いつも問いかけたいと思っているんですね。その1つは、自分で何かをやってみる事だし、周りの社会とか隣の人とか環境にいろいろ興味をもっていくという事なんだろうというふうに思います。こういうふうに子どもたちが動いてくると、周りにいる大人たちが育てられるんです。 結局、私たちは何回も失敗しましたけど、その失敗で学んでいますし、学んで子どもたちと共に社会を作っていくというふうにしないとやっぱりダメなんだよねって。また一から歩きだすということになるんです。周りにファシリテイターを育てて、社会の民主性というか保証人を育てていくんだと思います。 もう1つ、こういう社会でありたいと思うんですけど、学校もとても頑張ってはいるんです。だけどまだまだ閉鎖的です。私が話にいった中学校の校長先生もおっしゃっていましたけど、「学校の部活が一番でしょ黒木さん」とおっしゃるんですよ。「やっぱりその次に地域でしょって」おっしゃる先生はまだいます。でもその先生には学校にいらしたお子さんで、不登校でおとなしいお子さんが入って、今ガンガン楽しくやっていますよっていう例を紹介して、「えぇ、あの子が」と言ってびっくりされて、やっぱりそういう子にとっては、地域活動は大切なんだよねって。そういう子だけじゃなくて、どの子にとっても、学校も大事・地域も大事・家庭も大事、みんなが閉ざしたところから手を出してつないで、子どもを地域で育てていきたいなというふうに思っています。それで地域の中では、子どもたちの基盤として事務所を作る事ってとっても大事なんですよ。さっき池口さんがおっしゃいました、やっぱり、全ての人が基盤にするぐらい子どもの権利をみんなに知ってもらうことのために、最後に千葉県の子どもの権利条例を実現する事を目指して行きたいと思います。 以上です、ありがとうございました。 意見交換の発言(一例) 会場からの発言 いじめが悪い事はわかってるんですけど、えてして大人の人たちがやっちゃう事は、やっぱりいじめてる側だけを悪者にする。確かにいじめてる側は悪いんですけども、その子たちがどうしてそうなったのかっていう事がなかなか向きあってはもらえない。いじめている子どもにも、いじめられている子どもにも、しっかり寄り添って話し合っていかないと問題が解決しないと思っています。もう1つは、子どものための気軽に集まれる場所がほしいと思っています。学校の中でという形ではなく、全く教育機関でない形で子どもたちが寄り合えるようなところがあってほしいと思います。 池口 今の発言で重要なポイントが2つあると思います。 いじめっていうのは被害者・加害者っていうふうになるんですけど、たたいたり暴力をふるったり、無視したりしているその子自身が自分の中に大きな悩みや矛盾をかかえており、いじめはそのことの外化であるその子自身が解決されなければならないし、傷が癒されなければならない。この視点は絶対に大事なんです。と同時になぐられたり、いじめられてる子は新聞とかでは何がいじめなのか定義にあてはまるかどうかというような意見が出ていますけど、要するにそんなのは単純なことで、そのクラスの中で苦しんでいる子がいるかいないかっていうだけの事です。苦しんでいる子は定義に該当しようがなんだろうが、みんな付き合ってあげなければいけない。両方ちゃんと一対一でちゃんとしたケアがされなければいけない。それとその事の重大性っていうのは、教員と親の姿勢で決まります。 これは先日、市原の小学校で私がお話をさせていただいた時にも言ったんですけど、いじめがおきている事が発覚した時に全校が平然と授業をしている事自体が私にはあり得ないと思います。 誰かが殴られて追い詰められて辛く悲しい思いをしている時に、平然とそのクラスが授業をしたり、そのクラスだけでなくても他のクラスで授業が進行しているという、こんな事は教育としてあり得ないと思います。 1人の子どもが苦しんでいるのに、みんなが無関心なまま通常の事が行われている。 その子にとっては異常事態、緊急事態です。それは全校の問題である。私が教員の時は、そこで全校の活動をストップしました。1件であっても。そしてその被害を受けた子は完全に守る。24時間守る。全ての状況で守る。 加害の子は、その子自身の苦しみの聞き取りを徹底して一対一で行う。役割分担を決めて無制限でその対応に入るんですけど、その教員の取り組みを全校の子どもが見てるんですよ。先生がどういうふうに取り組むのかというのを見てるわけです。1件であっても徹底してやる事をきちんとやれば、その後いじめは減ると思います。 いじめによって起きていることの重要性っていうのは、小さい子であればあるほどその事に対する親や教師の姿勢によって伝わるのです。子どもとの関係で、言葉で全部伝わったと思うのは無理があります。 最後のまとめ 池口 ありがとうございました。 それではそろそろ終わりますけど、全体の議論を通じてちょっとだけまとめたいと思います。 1点は、今の子は人に迷惑をかけてもなんとも思わないとか、人を殺して平然と暮らす子が増えてきたとか、悪魔がぞくぞくと来るようなそういう印象をうけるような事が言われますけど、人をなぐったり人を殺したり無視したり、そういう子どもが悪人でその悪人は排除するとか、罰をあたえるとか、そういう事をすべきなのかどうかという議論はきっちりやらなきゃいけない。排除して罰をあたえて専門の施設へということになると政府はたくさん施設を作らなきゃいけない。アメリカでは少年院も刑務所も増えているそうです。そういう社会になっていいのかどうか。 それから2番目は発表の中にもありましたけど、例えばその子の“居場所”っていうことが林さんのレポートで話されました。本当に注目したいんですけど居場所ってどこか部屋とか建物とかを考える。それも大事だと思いますけどそれよりそのままでいいよっていう、その子が自分らしくそのままいれるって事自体が居場所なんだということが重要です。 この定義っていうのは絶対に重要だと思います。 子どもの人権、先程難しいとおっしゃいましたけど、実はこの人権というのは「自分が自分でありうる」という事なんです。よく言われるのはセルフ・アイデンティティとか、自分らしくとか、これが人権の中身です。自分ではありえない事が人権侵害なんですね。 一番人権侵害は戦争であったり、虐待であったりします。1歳・2歳の子が最後まで親にすがろうとして足元に行くわけですよね。愛してほしいし自分も愛したいわけですね。ところがその愛してくれる対象から殴る・蹴る・食べ物を与えないなんてことになる。こんなに自分が自分でありえない事態はないじゃないですか。引きさかれ状態です。非行少年が悪さをする。それはその子自身にとって止むに止まれぬ行動であるという認識ができるか、できないかって、大変重要なことです。その時には生きんがための行動なんですよ。 そういう自己表現ではなく、本当に喜びになる・幸せになるような表現にしようというふうにサポートをする為にはものすごいエネルギー・粘り強さが必要です。それができるかどうかっていったら専門的な認識も必要です。もっと必要なのは、それでもこの子は大事なんだ。この子も人間の尊厳を持ってる人なんだという深い理解が必要です。人権意識に支えられないと実践は無理なんです。こういうことを施設の職員も学校の教員も親もわかっていただきたい。 3点目は子どもが自分で自分を表現する、活動する、このことを保障しない社会では子どもは守れません。それを尊重することが重要です。その為には子どもの意見を聞く、子どもの参加を保障する。そして学校・施設における活動は子どもたちに開かれている。 子どもたちに開かれるというのは決して門を開くだけじゃなくて、子どもが参加できるということ。親に対しても学校は開かれている。それは子どもの声を聞く。気持ちを受けとめる・活動を保障する。そういうことが基本です。その上にたって教育とかいうことが始まるんではないか。どうしても学校というのは教えたい人たちの活動ですから、“このようにしたい・直したい”まじめであればそうなるんです。直すより状態でいかに幸せを保証するかっていう事を考えなければ。頭がよくなろうが成績が悪くても幸せを保障するということをまず考えないと。そういうことが人権意識の基本ですね。 最後にその子どもの声や意見を受け止める大人がいるってことです。子どもは意見を大人に受けとめられなかったらもう言わなくなります。自分を表現しなくなります。子どもが学級活動の中で自分を表現して、先生に素晴らしい・よく言ってくれたというふうに言われれば、そのことによって子どもは本当の自己実現の学びに入るんです。これがないところでは学び活動が生かしきれないんです。 人間は心身の動物ですから、頭だけが動くわけじゃない、心も動かなきゃ頭も働かない。 両方が動くには、“照り返し”と言いますけど子どもの表現を受け取めて、すごいねと言われる事で子どもはびっくりするわけです。なんかオレがやった事や言った事はすごいのって、びっくりするんですよ。そう言ってもらえた事によってすごいんだと思えるわけです。この照り返しは大人の役目です。知識を得た事以上に、子どもが表現した事を財産にしていくということが教育にとってすごく重要です。 虐待とかいじめの問題は事柄の重大性をちゃんと伝える。これは説教とかいうレベルではなくて、もっと深いところできちんと伝えてもらいたい。大人のあり方をもって学校自体のあり方をもって施設自体のあり方をもって子どもに伝えてもらいたい。 いじめが起きないための学級経営はあります。いじめが起きないための授業方法はあります。教育相談もあります。そういうことを今絶対に勉強してみんなで話しあって確立しなければならない。 それから子ども劇場さん、その他の方も“聴く”ことの重要性をおっしゃっています。“聴く”ことが育てる力です。子ども劇場さんは本当に独自に考えられた言葉を使いますね、受け手。まず聴くことからしか子どもを守ることは始まらないんです。 というわけで今回このように皆さんから提起された問題・取り組みについて提起していただいたことが来年どれくらい進展しているのかということをお互いに期待し、お互いに力を合わせて子どもの人権の確立のために必要なことを実行することを確認して、今回の人権懇話会を終了したいと思います。ありがとうございました。 |