第9回「千葉県子どもの人権懇話会」

 いっしょにつくりましょう!

子どもが大切にされる千葉県

 

日時:201211月9日(金)・13時~1630

会場:千葉市中央保健福祉センター・大会議室

(千葉市中央区中央4-5-1・千葉市きぼーる11階)

 

         主催・千葉県子どもの人権懇話会実行委員会

 

【後援団体】千葉県・千葉市・船橋市・成田市・旭市・勝浦市・八千代市・浦安市・銚子市・館山市・野田市・佐倉市・習志野市・市原市・我孫子市・君津市・四街道市・市川市・木更津市・茂原市・東金市・柏市・流山市・鴨川市・富津市・袖ヶ浦市・八街市・富里市・香取市・酒々井町・栄町・東庄町・芝山町・睦沢町・長柄町・御宿町・印西市・南房総市・山武市・神崎町・大網白里町・横芝光町・長南町・鋸南町・白井市・匝瑳市・いすみ市・多古町・九十九里町・一宮町・白子町・大多喜町・長生村(53団体)◎千葉県教育委員会(以下市町村教育委員会)・千葉市・船橋市・松戸市・成田市・旭市・勝浦市・八千代市・鎌ヶ谷市・浦安市・銚子市・館山市・野田市・佐倉市・市原市・我孫子市・君津市・四街道市・市川市・木更津市・茂原市・東金市・鴨川市・富津市・袖ヶ浦市・八街市・富里市・香取市・酒々井町・栄町・東庄町・芝山町・睦沢町・長柄町・御宿町・印西市・山武市・神崎町・大網白里町・横芝光町・長南町・鋸南町・白井市・匝瑳市・いすみ市・多古町・九十九里町・一宮町・白子町・大多喜町・長生村(51団体)

【目的】

千葉県子どもの人権懇話会は、今回で9回目となります。子どもたちの権利擁護を具体的に取り組んでいる関係機関や市民の方々から実践報告を伺い、その進み具合と課題を確認し合い、行政と民間が協働して、地域の「子どもの人権施策」をどうすれば更に推進できるか、参加者のみなさんといっしょに考え話し合っています。

 

参加者:40

プログラム
主催者挨拶          

2.シンポジウム 

《基本テーマ》

”子どもの人権を理念とした地域の基盤をつくろう”

~子どもの人権を守る第三者機関等の取り組みについて~

《シンポジスト》

千葉県児童福祉施設協議会施設生活評価委員会委員長、淑徳大学教授・稲垣美加子さん

「児童福祉施設の苦情解決の取り組みと課題について」

千葉県健康福祉部障害福祉課広域専門指導員(千葉県市原健康福祉センター駐在)

朽名高子さん

「障害のある人への差別(人権侵害)をなくす取り組みと課題について」

千葉県教育委員会(教育庁)教育振興部指導課人権教育室・指導主事・宮木裕一さん

「学校における人権侵害をなくす取り組みと課題について」 ~いじめをなくす取り組み~

市原市子育て支援部子ども福祉課企画調整係・係長・小宮 さん

「笑顔が広がるいちはらっこの子育ち支援条例の取り組みと課題について」

コーディネーター・池口紀夫さん(NPO法人千葉こどもサポートネット理事長)     ・山田由紀子さん(千葉県弁護士会所属弁護士)

3.討論(質疑応答) 

  

千葉県児童福祉施設協議会施設生活評価委員会委員長、淑徳大学教授・稲垣美加子さん

「児童福祉施設の苦情解決の取り組みと課題について」

‐子ども主体の取組であるために 

 

1.児童福祉施設における権利擁護の背景

船橋市にある児童養護施設「恩寵園」での根深い児童虐待が告発されて11年も経ち、私たち委員会の委員も二代目・三代目の委員になっています。もう私たちの役割はここで終わりましたと報告申し上げられたら、皆さんに胸を張って報告できるかなって思うのですが、残念ながらいまだに毎週のように千葉県内を走りまわっている状況です。

子どもたちが暮らしているところには様々にある人権侵害のうち、第三者による権利擁護が一番確立されているのが児童福祉の施設に関係するところかもしれません。先行する第三者による子どもたちの権利擁護について、日々の中でうまくいかないことを報告して、皆さんの今後の活動の参考にしていただいたり、後々の意見交換のところでは、私どもが気がつかないところについて「こうしたらいいよ」などのアドバイスをいただけたらと思います。

   「第三者委員」について、国の制度では苦情解決制度の第三者委員が一般的であるが、千葉県は県内の児童福祉施設によって組織される千葉県児童福祉施設協議会が自浄組織として「千葉県児童福祉施設協議会施設生活評価委員会」を組織している。

 

① 児童福祉法に基づく施設サービス

乳児院(入所)・児童養護施設(入所)・児童自立支援施設(入所) 

母子生活支援施設(入所)・各種障害児施設(入所・通所)・保育所(通所)

 児童福祉法に基づく施設サービスを挙げてみました。0歳から20歳くらいまでのお子さんたちが様々な課題によって暮らしている施設が児童福祉法に基づく施設です。子どもといっても0歳の乳児と18歳から20歳の大人になろうとして社会参加をしようとしている子どもたちが必要とする支援や権利擁護のあり方も自ずと内容や方法に相違があり、その内容は非常に多岐にわたります。

 

②“児童”の特性

1)成長に伴う変化の速さと、育ち方の多様性

 ・ 変化のスピードが速く、年齢により特性が異なる

 ・ 心身に様々な育ちにくさをもって生まれてくる子どもがいる

 ・ 親の養育観・教育観(育ちの環境)の影響を強く受ける

2)親・保護者の存在への配慮

 ・ 親・保護者の生き方と子どもの養育の相互性

 

③ 児童福祉施設の権利擁護

1)施設で暮らす子どもの権利擁護

2)親との関係性における子どもの権利擁護

3)子どもの親であり、一個の独立した人格である親の権利擁護

4)親子関係の権利擁護

5)社会に対する施設を利用する子どもの権利擁護

6)要養護課題を抱えやすい子どもとその親や保護者の権利擁護

 ・ 児童虐待には様々な背景があり親自身の課題も想定される

 ・ 少年非行は親との葛藤に起因する場合がある

 ・ 子どもへのより専門性の高い支援には親の協力が必要

 ・ 衣食住の質や環境の清潔・安全は子どもの育ちに大きく影響する

 特に子どもの支援では、先に整理したように、権利擁護だけではなく私たちが留意しなければいけないことは“児童”の特性についてです。「子どもは絶えず変化をしていく存在である」ということ。しかも環境との相互作用の中で変化をしていくので、子どもの権利を擁護しよう・子どもの支援をしようと思ったら、その環境である家族や地域社会にもアプローチをしていかなければ、権利を守ったり、子どもたちの幸せを実現していくのが難しい。これが社会福祉の支援の中でも特に子どもと家族を支えるときの難しさになってきます。

子どもたちの支援はこれから未来を生きていくことに関わるので、私たちが関わり方を間違えるとその子の未来像を変えてしまうことになります。良かれと思って関わることが、私たちもそのかかわり方を一歩間違えると彼らの権利を侵害してしまう立場に立つということには、十分な配慮、慎重なアプローチが必要で、大変難しい役割だと思っています。だから子どもたちの施設に関する仕事の際は、毎回毎回暗中模索。自問自答。いつも、何かしら後になって、子どもたちに申し訳なかったなと思うことがあるほうが多いのです。子どもたちの権利を守っていくというときには、「お前はいかなる大人か」と問われること、これに答えながら自分でその答えを探しながら活動しているのが実態です。

 

2.児童福祉施設における権利擁護の仕組み

① 前提 ・「児童福祉法」  ・「児童憲章」  ・「児童の権利条約」

② 諸制度・事業

・「権利ノート」の配布 ・児童相談所への電話連絡 ・苦情解決制度      

・第三者サービス評価 ・成年後見制度・日常生活自立支援事業

・その他:自助活動(千葉県児童福祉施設協議会生活等評価委員会活動)

③ 苦情解決制度の概要

・ 2000年の社会福祉法の改正:措置から契約へ 利用児・者の権利擁護の強化

・ 施設・利用者双方に対し第三者性を維持した利用者の権利擁護制度の必要

・ 「苦情処理」から「苦情解決」へ

・ 弁護士、地域住民、学識経験者等に施設が委託

・ 電話、郵便、面接による苦情定期への対応

  * 第三者委員は電話番号、住所等利用者に公開

・ 施設職員による制度運営

④ 苦情解決制度の利用方法

1)電話による相談 2)書面による相談・「意見箱」等への投函 ・郵送

3) 面接による相談

 

児童福祉施設において子どもを守る仕組みというのはずいぶん整備をされてきました。社会福祉制度全体が、措置といって行政のほうがサービス内容を決めて「これを使いなさい」というものから、利用児・者が自分たちでサービスを選んで契約する時代に変わってきました。利用者に不利益が起きないように、権利擁護の仕組みが全体として整えられてきたと言えます。

これだけ申し上げると、いかにも児童福祉の世界というのは子どもたちの人権が守られる状況のように見えますが、残念ながら必ずしもその仕組みの運用がうまくいってないのも実態です。

 それが何故起きてくるのか。これまでの児童福祉関連の法律等の中で「児童福祉法」と「児童憲章」が日本の児童福祉の根幹を作ってきました。これに加えて、1994年に日本は「児童の権利条約」を批准しましたが、この児童の権利条約にある意見表明権や知る権利という能動的な権利、この能動的な権利の理解が私たち専門家も不十分です。皆さんも私たちもこの受動的な権利の中で育ってきているので、自分たちが能動的な権利の中で権利主張をした体験が十分にはありません。自分が体験したり学んでいないことを仕事としてとか子どもたちの権利を守るためにしようとしてもストックが足りず、それを子どもたちにどう伝えていったらいいのか不足があるのが実態だと思います。

 2000年に社会福祉法が変わり、この苦情解決といわれる第三者の仕組みが社会福祉のサービスに導入されました。最初は苦情処理といわれ、サービスとして対処するという発想でした。権利主張に基づくサービス利用という認識が不十分だったことに起因する経過といえます。苦情というのはサービスの利用主体である利用者や子どもたちがこうしてほしいんだという権利主張であって、それに対応していくことであるから、「処理」ではなく、苦情「解決」と言葉が変えられた経緯があります。

 子どもたちは0歳から20歳くらいまでの間、まだ自分たちの権利というのを妥当に理解したり権利主張したりすることが難しいところがあります。大人たちが用意したサービスの中にどこに権利侵害があるのか、他と比べることができないのでここを直してほしいと主張することが難しい。ですから第三者が子どもたちに代わって修正していきましょうということが第三者の制度になります。この苦情解決を利用する場合、子どもたちは私たち第三者委員に電話をかけたり、手紙を書いたり、直接対面したりして困っていることなどを伝えてくれています。

 

3.児童福祉施設における苦情解決の現状

① 依然として「被措置児童等虐待の疑い」が無くならない現実

② 形骸化する苦情解決

恩寵園の活動以来、もしこの制度が十二分に機能していて子どもたちの施設に権利侵害がなくなっていたら、私たちの委員会は解散しているはずですが、残念ながら、土曜日ごとに千葉県内を右往左往しているのが現状です。私の住まいは東京で片道3時間かけて房総半島の先の施設まで出かけ、たまに帰りの時間を間違えると1時間に1本しかない電車をずっと30分くらい陽に照らされて待っていたりとか。でも、それが一人でも子どもの笑顔につながったら、と思って活動させていただいていますが、残念ながらその活動量は減っていきません。

 施設の中で職員の方たちによって子どもたちの権利侵害が起こる、体罰などによって子どもたちが傷つくことを被措置児童等虐待といいます。恩寵園のように子どもたちから叩かれたとか何かをされたという訴えが明確にあると確認しやすいのですが、なかなか子どもたちはそれを明確に話してくれません。いろいろな形でアプローチをしていって解決をします。今、子どもたちはこうした権利を逆に使うスキルを身につけていて、困ったことがあったときに職員さんを困らせようとして、たまに叩かれたといった通報をすることもあります。したがって、私たちは第三者の公平性に立って、そこに何が起きているのか、可能な限り事実に近づいていて判断をするように心がけています。

制度としてこの第三者の制度が特に苦情解決の第三者委員制度は、誰かをこの第三者に置かないと施設サービスとして都道府県・市町村の認可が得られず、監査のときに指導が入ります。やむを得ずこの第三者委員などを置いているところは残念ながら名目上の委員がいるだけ、「なんちゃって第三者委員」というところも見られます。私が以前この苦情解決の第三者委員をした時には月に1回施設を訪問して、必ず子どもと会うようにしていました。それが第三者委員として当たり前のやり方だと思っていたのですが、残念ながら千葉に来てそういうところは少ないです。全国に目を向けてみても、そのような存在がいるのは知っているが会ったことはないと子どもたちが言う第三者委員がいるのが実情です。

 

4.児童福祉施設における苦情解決の課題

① 制度自体の理解の課題

② 制度運営の課題

③ 児童福祉施設をめぐる背景の課題

これまで述べたように、苦情解決制度を始め、第三者のかかわりは、これから成熟させていかなければいけない制度だという課題を持っています。施設にお邪魔をして被措置児童等のことについてお話をさせていただくときに、職員の方たちから理解を得られないことがたくさんあります。職員の方たちは、従来の子どもの受動的な権利の立場にたって、良かれと思って強い指導をしてきたのです。千葉県に来て厳しい現状に会ったのですが、職員さんたち自体が自分の育ちの中でかなりの体罰を体験して、子育てはそういうものだと思っているので、施設の子どもたちと自分の間に愛情関係が生じたならば、叩くことは子どもが理解しているという錯覚を持っています。

 叩かれるということは子どもに何を伝えるのでしょうか。痛いからやめる、いやだからやめるだけであって、本来施設の職員さんたち、あるいは親御さんや大人の方も同じだと思いますが、してはいけないことを「してはいけない」とわかってもらうことが必要で、その手段として、体罰という暴力を用いているのだと思います。しかし、暴力はその意味を伝えることはできません。痛みを教えるだけです。

 この咀嚼が不十分なので、家庭の中で親子間に生じる体罰のように、施設の中でも子どもたちのためを思ってと言って、いまだに体罰を使ってる方たちがいるのが現実です。子どもの権利意識が十分には浸透していないのです。驚くべきは叱られる権利があるからそれに答える体罰だと言う方もいます。子どもたちは叱られる権利を持っているのではなくて、悪いことをしたときには謝って仲直りする方法があることを知ったり、時にはそれが過ぎると世の中には罰という仕組みがあることを知る権利を持っています。ここは誤解をしてはいけないと思います。あちらこちらにこういった誤解が生じていて、叱ることは愛情だと勘違いをしている人が多くいます。親子関係ではあるかもしれませんが、私どもプロが使うスキルではありません。

 こうした制度を運用しているときには、社会全体がもっと子どもの権利を守るということがどういうことなのかと理解していくことが必要です。まず私たち子どもたちにかかわるものたちが児童の権利条約(子どもの権利条約)、子どもたちの能動的な権利主張や意見表明権について正しい理解をして、その知る権利に対して応えていく大人としての責任や言葉を持つことが求められています。施設に伺ってよく聞くのが「なんでこれしちゃいけないの」と子どもが聞くと「ルールだから」という対応です。ルールはみんなで一緒に暮らすときにお互いを大切にするために作られたもので、“どうして守るとみんなが仲良く心地よく暮らせるのか”という説明がなくて「ルールだから守りなさい」と言う。子どもたちは私たち大人のウソを見抜きますから、大人が時、安易にルールを破るとそこをついてきます。そして、「大人はずるいよ」と指摘します。“ずるい”と言われると困ってしまうからまた感情的になる。その延長線上で怒鳴りつける、言葉の暴力による虐待が起きたりするのです。

 社会福祉で働く相談支援のプロをソーシャルワーカーといいます。私たちのよりどころとなるのは権利擁護。社会的な正義です。しかしこれを十分に理解しないで働いている人たちがいるのも事実、なぜそれが生じてくるのかというと、これだけ世の中に痛みや悲しみを持った人たちがたくさんいるにもかかわらず、そして、憲法25条に社会福祉の必要性がうたわれているにもかかわらず、まだまだ善意に頼った支援に依存しているところがあって、お給料を払って資格を持った専門家によって社会福祉サービスを展開していこうという方向性が国の中に十分確立されていないのです。

 そういう意味では子どもたちを叩いている職員さんたちの中には、自分たちが劣悪な環境の中で働いていて必死になったあまりに、混乱の中から暴力的な言動に陥っている場面も垣間見ることがあります。子どもたちの幸せを獲得するためには、まず私たち大人が幸せについて理解し自己実現していなければ、誰かのために何かをしていくのは難しいところもあります。社会福祉の職場というのは児童福祉の現場によらず、労働条件が過酷で給料が安い。皆さんに理解していただきたいのは、働いている人たちがプライドを持って且つ余裕を持って働けるような社会になっていくように、社会福祉全体の必要性を声にあげていただきたいということです。もちろんNPOの活動というのも大事だとは思いますが、深刻な命や人権にかかわる支援は私たちプロが担わなければいけないところがあるのが日本の現状で、それは厳しい状況だと言えます。

 日本の社会は高齢者には莫大なお金をかけますが、子どもたちには十分なお金をさいてくれません。高齢者制度・施策はお金をかけて充実していきますが、子どもたちのサービスはスローガン止まりで「みんなで頑張りましょう」で止まってしまいます。未来ある子どもたちの為にお金を使っていくことを、もう少し社会全体で考えていきたいものです。   

私どもの児童福祉の領域の中で展開されているサービスの課題を踏まえて、それを普遍的に社会の中で受け入れていただくときに、大人と子どもの権威関係が発生しやすいということには十分留意をして展開していくことが必要だと思います。子どもたちの知る権利に応える大人として、子どもたちに対して威圧的にならないよう充分注意して、いろんなことにかかわっていくことが必要だろうと思います。子どもたちに関わっているプロのプライドを持った仕事できるように、是非皆さんからもバックアップをしていただきたい。

 子どもの支援をするときに、かつて傷ついた子どもが大きくなって支援者としてかかわっているときがあります。ここに誤解があり、痛みを持っているから人の痛みがわかるのではなくて、痛みが十分癒されていないと却って、自分の痛みと人の痛みを混同してかかわってしまうことによって、子どもの負担を大きくしてしまうことがあります。これは人の人生だから止められないところもあります。子どもの時代に受けた痛みというのは、子どもの時代に解決することができるように、それに気が付いている大人がもっと努力を重ねていかなければいけないのではないのです。

 厳しさの中で一生懸命生きている子どもたちがいます。施設の子どもたちは社会の中の子どもたちに比べると差別されがちです。もっとその子どもたちにも関心を寄せてください。彼らは様々つらい体験をしていても、とてもたくましく生きる力を持っています。彼らのその力を伸ばしていけるような社会としての見守りをお願いしたい。そしてその傍らで一生懸命だけれど見るべきものを見失って混乱している職員の方たちもいます。本来彼らが目指したものを獲得して仕事ができるように社会全体のバックアップをお願いしたい。その為には是非批判ではなく、現状を改善していくことのできるサポートをよせていただければありがたく思います。

 

 

千葉県健康福祉部障害福祉課広域専門指導員(千葉県市原健康福祉センター駐在)

朽名(くつな) 高子(たかこ)さん

「障害のある人への差別(人権侵害)をなくす取り組みと課題について」

 

障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例

 知的障害の娘が38歳になります。その子どもが一番上で、真ん中の子が医者、下の子が獣医にと、いろんな意味で子育てをした経験を生かしながら今の仕事をさせていただいています。

 平成197月に「障害のある人もない人もともに暮らしやすい千葉県づくり条例」ができました。「差別の禁止」という言葉を使うと、障がい者と関わってくれる人が少なくなってしまう。「罰金や罰則」を目的にすると誰も味方になってくれる人がいなくなってしまうのではないかということで「差別・禁止」という言葉を使わない条例になりました。

条例策定には30か所延べ3,000人くらいの人たちが集まってタウンミーティングが開かれました。その中で障害のある方が「私たちだって地域で暮らしたい。なんで一般社会から分離されるのか」「どうして地域で暮らせないんだ」と発言がありました。このことがきっかけとなり障害者が地域で暮らすため支障を取り除くための条例となりました。

この条例の目的は、障がい者に対して誤解や偏見をなくし不利益な取り扱いをなくすことです。そして誰もが暮らしやすい地域で、その人なりに暮らせる事を目指しています。

 

条例づくりの背景

身体に障害のある人   約17万5千人

知的に障害のある人   約3万2千人

精神障害のある人    約6万4千人

合計--------------------約27万1千人

 

 千葉県で27万人くらい障がいのある方がいます。寝たきりで障害者手帳をもたない高齢者の方はこの数に含まれていないので、かなり多くの方が障がいがあり、生活のしづらさを抱えています。皆さんが街に出たとき、障がいのある方々にどれだけ出会っていますか?障がいのある方が街に出ていないというふうに思うことはありませんか。障がいのある方々がどのように生きているのだろう、どういう生活の課題があるのだろうか、そういうことを考えながら仕事をしています。誤解や偏見をなくすために広域専門指導員という立場で関わっています。相談を受けながら、どうしたら相談者の皆様が幸せに、今の環境より良いところにつなげられるのかをいつも考えています。

 

条例の骨組み(差別の定義と3つの仕組み)

個別事案解決の仕組・頑張っている人を応援する仕組み・制度・慣習などを変える仕組み

 この条例には個別事案の解決のための仕組みがあります。「シロクロつけるものではなくて、調整活動として話し合い、そして当事者と相手の方が納得いく落とし所を見つけて解決していく。」というものです。

また応援する仕組みとしては、たとえば自閉症のお子さんに床屋さんが協力的であるとか、歯医者さんが協力的であるとか、障害を理解してくださるところを開拓していく、そして応援していく仕組みがあります。

更に最終的にどうしても制度として解決していかなければいけないこともあります。例えば車いすの駐車場は一番手前にあり便利なため一般の方々もそこへ駐車する姿が見受けられます。障がい者が利用したくても使えない状況になります。これは制度として取り組んでいかなければならない課題ということで取り上げています。このように3つの柱が条例にはあります。

 

障害者「差別」とは

障害の対象者を身体障害者・知的障害者・精神障害者、発達障害者・高次脳機能障害者など、障がいがある人たちの関わりを一緒に考えていきましょうということで障がい対象者を3障がい以外の方々にも広げています。

 

障害者基本法の中で、何人も障害者に対して障害を理由として差別すること、その他の権利・利益を侵害することはいけませんよとしている。犯罪行為というのは、血が出ていたり衰弱して倒れていたりということがあって事件になるのですぐわかります。でも差別の場合、差別ということがわかりにくい。何が差別なのかわからないということで、この条例では差別を定義して、自分では差別してないと思っても、これは差別だと具体的に言っています。

障害のある方に対する差別は、例えばレストランで、隣の方と私のところとステーキの大きさが違っていれば具体的に差別だって言えます。実は具体的に目で見てわかるような差別ではなくて、価値観・感性の問題、良心としての問題という形では何が差別だかわからないということがあるので、共通の認識として差別を定義しています。

 この定義の中で、福祉、医療、商品・サービスの提供、雇用、教育、建物・公共交通、不動産取引、情報の提供など8項目15種類。障害を理由とした差別として具体的に定義しています。その中に合理的な配慮という言葉がたくさん出てきます。

 

「合理的な配慮に基づく措置」とは

 例えば身体拘束。精神科の病院や認知症で入院し、経管栄養を行っているときなど、どうしても自分で管をはずしてしまう、そのような時に身体拘束をする。それを行わなければ命にかかわるという理由がある、生命の安全を考えたときに、どうしても他に代変えするものがない、そのような場合に限ってだけ、やむを得ない形で行っています。

 サービスの本質的なことを著しく損なう場合、例えば大声で騒いでしまうような多動性の障害のある方が、参加することで音楽会やコンサートを台無しにしてしまう、その可能性があって以前にもそういうことがあるという場合入場をお断りすることがある。このような合理的な理由は、きちんとした説明があればもっとわかりやすい。

 また、知的障害の方がいろいろなところで診断を受けたときに、本人は何をされるのかちっともわからないため騒ぐ。歯医者さんの治療に行ったときにも何をされるのかわからないので恐怖の為さわぐ。するとそこでは強引に抑えつけられるだけです。そういうときに合理的な配慮というのは身体的な治療のときに絵カードで示してあげる。また丁寧に説明をしてあげる。「これ、口を開ける機械だよ。これから歯茎をこれでいじるよ」、そういうようにその子にわかるように説明をする―これが合理的な配慮です。

聴覚の障害があるお客様にお店の人が筆談で情報を伝えてあげる。車椅子の方がなかなか高い位置のものを取れない、そういうときに店員さんがしっかりと物を取ってあげる。その方の障害があってもきちんと補ってあげられるような配慮をする。その配慮がないことによって、実は差別があります。

「過重な負担」のある場合は適用を除外(8)

 「過重な負担」というのは、例えばレストランが2階にあるが資金が乏しくエレベーターをとりつけるためのお金がかけられないとか、障害のあるお客様のために特別に店員をつけることが小規模な事業の為できない等、そういうような過重な負担の場合にはやむをえないため考慮しています。

 

対象事案解決の仕組み・広域専門指導員の活動

現在地域相談員が647名千葉県にはいます。市原では35名。地域相談員の方々も、障害がある方々の相談を受けます。そして広域専門員につなげてくれます。相談事案は広域専門指導員と一緒に解決策を見出しながら共に行動をいたします。また広域専門指導員は関係機関と共に連携し事案解決にあたっています。

 障害者の当事者と相手側に入って、この相談内容にはどういう問題があるのか、事実確認を必ずします。解決してほしいという人、また話を聞いてくれるだけでいいという方もいます。例えば雇用の問題で差別を受けて非常にきついことがある、助けてほしい。でも誰か第三者が入ったことが会社にわかってしまったとき、自分が会社を辞めさせられるのは困るということで具体的に調整活動ができない場合がある。そういうときにはお話を聞くことが仕事となります。

広域専門指導員は広報活動として障害者の理解を深めていく為のPR活動を行っていきます。条例の内容をこのようにお話させていただいています。

また、広域専門指導員は差別のない地域づくりの為に調整活動を行っています。

 相談が入ったときに広域専門員はいろいろな方々を取り込みます。事実確認をしながら活動をしていきますが、実は地域相談員・市役所・民生委員・就職支援センター・警察・弁護士・医療機関・生活支援センターの方々などと連携しながら調整活動をしています。

 

制度としてどうしても取り組まなければならないものがあります。コミュニケーションに障害がある方、聴覚障害の人たちのときにはそういうことを補ってあげましょうと、その為に考えなければいけない。視覚障害の方々で具体的に相談事案がありました。ATMを使うとき一般は105円、でも視覚に障害がある方はATMが使えません。そこで210円払って窓口で行っていました。障害があることで2倍のお金を払うってことは差別です。

そしてこの事案は制度を変える仕組みとして取りあげられ、千葉県の千葉銀行・京葉銀行・千葉興業銀行は視覚障害のある方に対して窓口のサービスをATMのサービスと同額の105円の金額になりました。「みんなで障害がある方を応援しています」これを新聞に取り上げていただき、こういうふうに障害者を理解しているよ、と紹介させていただきながら障害がある方の味方を増やしていく取り組みをしています。

また例として知的障害のある方が何年もの間、社会保険事務所に診断書を出しなさいと指示されていました。知的障害なのに自分の子供だけ2年に1回必ず診断書を出せと言われる。個人でいろいろ抗議しても効果がなかったため相談に来られました。詳しく尋ねるとその方の相談は、毎回診断書作成には5000円くらいかかる。障害があるので受診することも診断書を取りに行くこともまた社会保険庁に届けることも自閉傾向の障がい者を連れていくことは手間取り負担である。そこで社会保険事務所に同行し一日がかりでいろいろ説明を行い、情報を伝えたところ、障害であることを認めていただき、その後は診断書の提出を求められなくなりました。なかなか個人だと対応していただけないものを広域専門指導員が同行することによって結果を得ることができ、理不尽な思いを一つ一つ丁寧に片づけていくことができました。

 

障がい者にたいする差別や偏見の結果、家庭の中で犯罪者を作らないようにする。理不尽な思いをさせて障害者を我慢させない。家庭の中でも許されるもの、許されないものがあり、相談者からSOSがあったときに必ず調整活動を行う。今後、もっと「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」の広報活動を押し進めていかなければいけないと思います。

御清聴ありがとうございました。

 

千葉県教育委員会(教育庁)教育振興部指導課人権教育室・指導主事・宮木 裕一さん

「学校における人権侵害をなくす取り組みと課題について」 ~いじめをなくす取り組み~

 

いじめについては今に始まった話じゃないというのは、その通りです。何年かおきにこのように大々的に取り上げられます。あるいは事件が起こっているけど取り上げられていないということもあります。児童生徒の自殺については文部科学省が統計をずっととっていましてHPに公開していますから誰でも見ることができますが、長期的には減少傾向にあります。

また、いじめについても文科省は長期的に統計をとっています。その統計によると、いじめの件数・発生率とも右肩下がりで減ってきています。たとえ一人であろうと死んでしまってはいけない、苦しんでいる子どもが一人でもいれば、取り組まなくてはいけないので、減ってきているからいいでしょということではありません。しかし傾向としては、今の子どもが悪くなっているとか凶悪化しているということはありません。

児童自立支援施設・少年院・学校等が今まで取り組んできたいじめに対する様々なアプローチがそれなりに効果をあげていると言えるのではないかと思います。大津のような事件が起きると、とんでもない状況に子どもたちがおかれていて、子どもたちを一刻も早く救わないとみんな死んじゃうんじゃないかというイメージをもたれるかもしれません。もちろん、こういう重大な事件は確かにあるので、これについては対応しなくてはいけません。しかし全体を見るといじめは減ってきているし、自殺する子どもも昔に比べると減ってきています。

今までの取り組みの中でよかったところ、評価するところがあるんじゃないか、そういう視点で今までの取り組みを総括していくことも必要かなと思います。ダメだ、こういうところは足りないというお話はよく聞くし、それは確かに大切な指摘だと思います。だからといって今まで何もやってこなかったとか、今までの取り組みはすべて無駄でなんの効果もなかったということではないと思います。人権教育や道徳教育をやりました、だから急にいじめが減りましたと、すぐに表れないかもしれません。しかし10年、20年というスパンで見ると、じわじわと効果は出てきていると思います。

千葉県で人権教育の取り組みが始まったのが昭和53年ですが、人権教育・道徳教育の取り組みを始めてから少しずつでも効果があがってきているところがあると思うし、どういったところが効果があり、どういったところが効果がなかったのか、どこが有効でどういう部分がまだまだ足りないのか、丁寧に見ていく必要があります。ただ昨年度は自殺した子どもが急に増えて、新聞でも報道されましたが、200人以上いました。これは25年ぶりです。もしかしたらこの後右肩上がりになっていくかもしれない。注意は必要かと思います。

 

命を絶つことの防止

いじめが起こった場合何としてもしていかなければいけないのは、死ぬような子どもは出さないということです。いじめとの関連は不明ですが、残念ながら昨年度は200人も、それ以前も150人、160人という子どもが毎年自殺をしています。これについてしっかりと取り組んでいかなければいけない。学校は手をこまねいているわけではなくて、命を大切にする授業やキャンペーン等は行っています。少しずつ右肩下がりにはなっているんですが、完全にゼロにするところまではまだ時間がかかります。いじめで自殺したということが大々的に報道されたりすると、後追い自殺する子どもが増えます。これは外国ですが、オーストラリアとかヨーロッパとかは児童の自殺についてはマスコミでは流さないというような法律を作っている国もあります。それは事実の隠ぺいではないかという批判もあろうかと思いますが、子どもの命を守るということで子どもの自殺についてはマスコミでは報道しないという取り決めをしています。大津の事件を大々的に報道されたことで果たして自殺が増えたのかどうかわかりませんが、そういったところも参考になるのかなと思います。

いじめている子を排除しない

命を絶つような子ども・命を落とすような子どもをなんとかゼロにしたいと考えています。自殺する子どもは150人くらいでだいたい推移をしていましたが、昨年は200人を超えました。いじめのほうは右肩下がりとはいっても年間1万件とか8千件くらいでいじめの認知件数があります。学校は甘いんじゃないか、こんなに何十年も前からいじめがあってどうしているんだという批判はあろうかと思いますが、学校は一般的にいじめた子どもを処罰するというスタンスはとりません。いじめた子どもに罰を与えて排除してしまえ、復讐してやれというスタンスで関わることはありません。

これは川西市のオンブズパーソンである桜井さんも本の中でも言っていますが、いじめとか人間関係で問題が起こったときどうするか、どうやって対処するのかというと、オンブズパーソンは、いじめた子どもをやっつけるというのでなくて、いじめられた子どもといじめた子どもの間の関係を修復させる。その関係に注目する。両者の関係をいかにして少しでも修復させるかというところに焦点を当てる。いじめている子どもをお前は悪いやつだとレッテルを貼って、コテンパンにやっつけてしかり飛ばして、お前なんか無視してやる、仲間外れにしてやるというような解決の仕方はしない。ですから時間もかかります。いじめっ子に対して甘いんじゃないかという批判もあるかもしれませんが、いじめている子どもに対してもケアをするというのが学校の基本的なスタンスです。つまり、いじめという問題を解決することが目的なのであって、いじめている人間を排除することが目的なのではありません。いじめられている子どものケアをする・守るのと同時に、いじめている子どもに対しても反省させていじめをさせないようにしていく。ただ特効薬がありません。この一言を言えば子どもの心に響いて、明日からガラッと人格が変わって立派な人間になってしまうというような魔法の言葉とか、魔法のようなアプローチというのはありません。

 時間をかけて何回も何回も話し合うしかない。何度も何度もその子に話をしていく、それでもその子がまたいじめをしてしまう、それでもあきらめずに何度も話をする、反省をせまるということを学校では繰り返しています。だからなかなかいじめの件数が減らないのかもしれません。時間はかかるし、その子が反省していきなりいい子になるということはないので、その子がまたいじめをしてしまうということもあります。

 

いつでも、誰に対しても、どこでも起こりうるという認識を持つ

学校ではいじめについて手をこまねいているわけではありません。ゼロにするとか、急激にいじめがなくなるというのは実際はできていないし、おそらくなかなか難しい。皆さんの理想ではあると思うし、それができるのがプロだとおっしゃるかもしれませんが、実際に子どもと関わっている先生方は一生懸命やっています。いじめている子どもとか、いじめられている子どものケアをしています。それでもみんながみんなではないので、大津のような事件が起こってしまいます。ただ、そういう事件が平均値だ、どの学校でも起きているということではない。いじめの問題は確かに根深くてずっと前から続いています。なかなかなくなりません、どうすればいいですか。これは続けてアプローチするしかないと思います。何度も何度も話をする。いじめられた子どもの気持ちを汲んで癒してあげることしかない。学校ではいつでもどこでも誰に対してもいじめは起こりうるという認識を持つ必要があります。うちは大丈夫という学校が一番危ないと思います。おれはいじめ解決のプロで、おれが関わればどんないじめでもなくなるよというような自信満々な先生が一番危ない。そう簡単に子どもは変わりません。時間をかけていることを理解いただきたい。

 

SOSを発信しやすい雰囲気が重要(被害者、周囲の子どもなど)

最近学校の傾向としてはいじめ問題が起こったときに当事者だけを呼んで指導するのではなくて、学校・クラスの問題として取り上げてSOSを発信しやすいような雰囲気をいかにして作るかというようなことを課題にしてきています。いじめられている子どもは発信できない。言えないからいじめられている。そういう子どもに「何かあったら言いなさい」といくら強くせまってもなかなか言えない。言える雰囲気を作ることが大事ですが、言える雰囲気ができたらいじめられている子どもは助けを求めるかというとそれでもなかなか勇気が出ないものです。そのとき頼りになるのが周りにいる子ども。見ている子どもがSOSを発信してくれるかどうか。子どもが子どもを守るということが必要です。見ている子どもが「○○さんがいじめられてます」というふうに発信できるようにする。見ている子どもがいじめられている子どもを助けやすい雰囲気を作ってくということが、いじめを減らしてくとか、深刻化させないという一つの方法なのかなと思います。

 

学校における取組 ~早期発見・早期解決がセオリー~

例えば具体的にそういう取り組みをしている学校を紹介したいと思います。

 一つは高校。ある高校では、入学式の次の日くらいに1年生を集めて校長先生が「この学校では一切いじめは許しません」という宣言をします。いじめについて私はこう思っている、そんな卑劣なことは私が校長でいる限り絶対許しませんということを断言する。先生方もそうしますよと断言をします。

それに引き続いていじめについてのビデオを見たり、話し合いをする等、一学期のロングホームルームを4回くらい使って徹底的にいじめについて話し合いをさせるような取り組みをしている学校があります。ただそれでもいじめは起こります。その学校でいじめがなくなったかというと、そうではなくて、ロングホームルームをやっても、からかいとか暴力とかいじめは起こっています。ただ周りの子どもが先生に話すようになったといいます。いじめがなくなったわけではない、でもいじめは許さない。いじめがあったら必ず助けるという子どもたちが出てきやすくなりました。こういうのは時間がかかるかもしれませんが、一つの取り組みとして有効なのかなと思います。周りの子どもが変わる。周りの子どもがSOSを伝えやすくなった、そういう雰囲気を作っていくことができつつあります。

次に小学校の例。これはいじめをなくそうとして始めたわけではないが、地域の方がボランティアで学校にお手伝いに来てくれています。例えば毎朝子どもが通学するときに地域の方が一緒についてくるとか、下校の時間になると地域の方が顔を出して「元気?」とか声をかけたりします。運動会とかには地域の方々がやってきて様子を見たり、5年ほど前からは地域ボランティアの方が授業中に見回りをしてくれるようになりました。100人くらいの人が登録していて、午前と午後授業中に学校の中に入って子どもたちの様子を見ます。

これは通報しやすくなる一つの方法かなと思います。子どもが先生と親だけでなく、近所のおじさん・おばさんと顔見知りになって、何かあったら話せるような人が一人でも二人でも増えていく。こういう関係があると、もしかしたらいじめが起こったときに深刻化しなくてすむかもしれません。学校に対して物を言いやすいような状況を作っておくと、「この間下校の途中あの子様子が変だったよ」というような話が入ってきやすくなります。こういうふうに地域の目、多くの人に協力をいただくとういこともいじめをなくす・減らす一つの方法ではないかと思います。第三者機関を作るということももちろんそうですが、近所の方が積極的に学校に関わる・子どもたちに関わるような状況を作る取り組みもいじめをなくす効果があるかなと思います。SOSを発信しやすい状況、何かあったら話せる人を一人でも二人でも増やしていく、そういったことに取り組んでいる学校があります。

そういった内容についても県教委の方でも資料集を作って各学校に配布をしたり、研修会で話をさせていただいたりしています。

 

今後の動向

大津の事件のように、もはやいじめの域を超えて犯罪ではないかというような事態に至っている事件もあるので、警察等との連携を強化する。自殺予防教育、これの導入について文部科学省も少し検討を始めたようです。またストレス耐性の獲得などが課題になっています。あとは、職員の研修、スクールカウンセラーの配置による支援。

いじめの対応も教員が担うことが多いという現実があるので、この教員研修も非常に重要です。

 

 

市原市子育て支援部子ども福祉課企画調整係・係長・小宮 茂さん

「笑顔が広がるいちはらっこの子育ち支援条例の取り組みと課題について」

 

本日は今年の4月にできました「笑顔が広がる市原っ子の子育ち支援条例」についてお話をさせていただきます。こういう名称の条例を作っていますので、私も自称笑顔推進員として、毎日笑顔で元気よくということを心がけています。

 

市原市の概要

市原市は昭和38年に誕生して、来年で市制施行50周年を迎えます。高度経済成長期から人口が増え始め、5つの町が合併して市になりました。面積が368.2平方キロあり、これは市原市の特徴でもあり千葉県一広いです。市内の移動にも車で1時間ぐらいかかかってしまうこともあります。人口は278千人。市の特徴として工業や農業が盛んです。臨海部では石油コンビナートを抱えていて非常に活気があります。又、南部地域には農地や山間部が結構あり、ゴルフ場が市内に32か所あります。

 

なぜ条例を作ったか

趣旨としては、子どものすこやかな成長・子育ちを地域社会全体で支援してするまちの実現を目指してということで条例を作っています。

条例は普通では第一条・第二条と入ってくるのですが、その前に、条例を作った思いや背景を前文に入れてありますので、この部分を読ませてください。

 

子どもは、一人ひとりが守り育てられるべきかけがえのない存在であり、地域の宝です。

この市原の地において、子どもが夢や希望を持って、生き生きと輝きながら育ち、未来を力強く切りひらいていけるよう、子どもの健やかな成長を支援することは、大人の使命であり、また喜びでもあります。

しかしながら、少子化や核家族化の進行により、家庭の子育て力の低下が叫ばれるとともに、都市化の進展により、地域社会の連帯感は希薄化しており、子どもを取り巻く環境が大きく変化しています。

これまで私たちは「挨拶ができ礼儀正しい子ども」「心からありがとうと言える子ども」「ものの善し悪しがわかる子ども」「相手の気持ちがわかる子ども」の育成を目指した「子育て4か条」を掲げ、子育て一番のまちづくりに地域社会全体で取り組んできました。

このような最中、私たちは、東日本大震災を経験し、薄れつつあったつながり・絆の存在を改めて見つめ直す機会を得ることとなりました。

今こそ、私たちには、人と人とのつながりの重要性を再認識し、より強固な絆を築きながら、子どもの健やかな成長、すなわち子育ちが図れるよう、地域社会全体で更なる支援に取り組むことが求められています。

ここに、私たちは、子どもにとって最善の利益を考慮しつつ、いちはらっこの子育ちを地域社会全体で支援し、子どもの笑顔とともに大人も笑顔で満ちあふれるまちの実現を目指して、この条例を制定します。

 

市原市でも少子化・核家族化や都市化が進んで一世帯当たりの人数も減ってきています。年々一年間に生まれる子どもの数も減ってきていて、市原市では 年間2000人ちょっとくらいの新生児が誕生していますが、少子化が進んできています。このような状況から条例を作市原市でも少子化・核家族化や都市化が進んで一世帯当たりの人数も減ってきています。年々 一年間に生まれる子どもの数も減ってきていて、市原市では 年間2000人ちょっとくらいの新生児が誕生していますが、少子化が進んできています。このような状況から条例を作って対応していきたいと考えました。都市化の進展、地域社会の希薄化というとこが大きな要因となりますが、行政としても手をこまねいているわけにはいかないということで、まずは理念的なことになるが、市として地域社会全体で「子育ち・子育て」を支援していくんだという意思を表すということで、市長の強い思いもあってこの条例をつくりました。

 

どのように条例を作ったか

これまでも「子育て4カ条」というものがありました。市原市では「挨拶ができ、礼儀正しい子どもに育てよう」という4カ条を掲げて学校・家庭に普及をさせて市原の子どもをしっかり育てていきましょうという取り組みをしてきました。

平成21年に市原市次世代育成支援行動計画という子育て関連の施策を定めた計画を作り、その中に仮称次世代育成支援推進条例をつくるということで、この段階で条例の制定について位置づけています。

条例を作るにあたっては多くの意見を取り入れなければいけないということがあり、そこで子どもへのアンケートということで平成22年度に実施しました。子どもの家庭や学校での様子・考え方・子どもと地域社会との関わりなどの実態を把握するために実施しました。その後に子どもの意見を聞くために、子ども会議ということで、小学校・中学校・高校生それぞれの会議を行って、大人に伝えたいことと、わかってほしいこと等を話し合っていただきました。様々な意見がありましたが、それを大人へのメッセージということでまとめています。

意見の1例として、最近の大人は子どもから見てもまだまだなのか、「私たちが挨拶しても返してくれない」とか、「あんまり普段関わっていないから大人のことがよくわからない」「地域の人を知らない」とか、さびしい意見もありましたが、「地域の行事をもっと増やしてほしい」とか「地域の人ともっと関わりたい」など、前向きな意見もこの中ではたくさん出ています。

そういった子どもたちの意見を踏まえて、今度は大人の意見を聞こうということで、昨年地区別の懇話会を開催しました。この中で子どもたちの意見やアンケートを基に、子どもに対して思うこと・感じること・子どもに望むこと・どんな大人になってほしいかなどについて、みんなで議論しました。今の子どもに対して思うことは、「コミュニケーションが足りない」「もっとしつけをしなきゃいけない」「大人とのコミュニケーションが最近足りないのではないか」という意見が多数出されていました。「地域の子どもにもっと関心を持っていろんな活動をしたらどうか」や「学校では教育をして学力をつけることがもっとも大事であるが、社会性をはぐくむような活動も必要ではないか。学校と子どもたちとの信頼関係がもっと持てるようになったらいい」などの意見も出ていました。私も隣近所の子どもは知っていますが、大人と子どものふれあいが、クラブ活動・サークル活動などを通してはあると思いますが、以外と身近なところでのつながりが薄れているのかなという感じがあります。

地区別懇話会での意見などを基に条例の素を作って、パブリックコメントを実施しました。いろいろな意見が出されそれを基に最終案を作り今年3月の市議会定例会に上程して原案通り可決され、4月からこの条例が施行されるという運びになりました。

地域社会全体で子育ちを支援する取り組みを定めて、さらに進めていくためには市民の代表者である議員による議決ということは非常に意義が大きいと考えています。

 

条例はどのような内容か

この条例の目的は、「子育ちに関する基本理念を定め、市・保護者・学校等・地域住民および事業者の役割を明らかにするとともに、市の基本的施策を定めることにより子どもに関する施策を総合的かつ計画的に推進し、もって子どもの健やかな成長を地域社会全体で支援するまちの実現力に寄与すること」です。基本理念を明らかにして定めて、それによって各主体に役割を果たしていただこうということで定めた条例です。

 

基本理念とは何かというと、生きる権利・守られる権利・育つ権利・参加する権利等の児童の権利に関する条約等に示された子どもの権利を尊重することです。そしてその理念を基に市・保護者・学校・地域住民・事業者がそれぞれの役割を自覚して、子どもが育つ喜びを共有して連携のもとで子育ちを支援することです。連携が非常に大事であると考えています。

私は地域住民の役割が非常に大きいのかなと思います。挨拶等によってコミュニケーションを活発化させて幸せな地域社会づくりに努める。すでに「取り組んでいますよ」と言う方がたくさんいると思いますが、でもまだまだ挨拶ができない大人の方もいると思います。照れくさくて声がかけられないとか、かけると不審者と思われちゃうとか、いろんなことがあると思いますが、顔見知りになることが非常に重要なことだと思います。子どもとつながるきっかけになるので、声をかけていただく・見守っていただく、そういうことが大事だと思います。また子どもが地域社会の一員であることを認識し、子どもが様々な経験や学習の機会を得られるように努めるものとしています。地域の方々がいろいろと子どものための行事をやっていただいていますが、条例ができたからと、改めてすぐに子どもの行事を作ってくださいということではなく、今ある行事を活用して例えば大人がよくやる清掃活動などに子どもも参加してもらう。ゴミ集めを一緒にやり、子どもの役割を決めて、仕事を与えることで、経験や社会の基本を学べるのではないかと思います。そうした意味で地域住民の役割は大きいのかなと思います。

 

市の基本的な施策

この条例に定める市の基本的施策としては、子どもに関する施策を総合的かつ効果的に実施するための計画(支援計画)を策定します。この支援計画ですが、条例の制定とともに支援計画が策定できる状況にはないため、新たに策定するまでは平成21年度に策定した市原市次世代育成支援行動計画を支援計画とみなしています。この条例を推進することについては新しい推進計画にも定めていくものと考えています。

取り組みと課題について、条例の浸透を図るということで今年の4月にwebサイト・広報誌・ケーブルテレビ・市原FMなどの広報番組を通じてこの条例に関する情報を発信しました。また、公共施設にポスターを貼り、町会に回覧をして、学校・保育所・幼稚園を通して各家庭にリーフレットを配布しています。リーフレットだけでも3万枚くらい配りました。そのほか出前講座ということで町会や青少年団体等の会合に行って直接説明をさせていただいています。

今後の展開としては更なる情報の発信ということで、来年度この条例に関するフォーラムを開催したいと思います。地域で子育て支援に関する取り組みをされている方、様々な子育て支援の団体の方々に来ていただいて取り組みの事例を発表してもらい、そういう取り組みをさらに広めていくことでこの条例を浸透させていきたいと思います。

課題としては、なかなか浸透していかないことだと思っています。学校の校長会で説明をしていますが、先生方にもなかなか条例ができたということが知られていません。10月にも市の民生委員協議会の市原市内11地区の会議に出席して民生委員の方にこの条例についてお話をさせていただきましたが、「そんな名前の条例聞いたことないよ」というお叱りを受けて、今日は名前だけでも覚えていってくださいと話しましたこの条例の名前が「笑顔が広がるいちはらっこの子育ち支援条例」で、ちょっと子育ちというのは聞きなれない言葉だと言われ、「子どもの健やかな成長を子育ちとしています。」と説明してきました。地域の人々と効果的に取り組んでいくための連携体制どのように作っていくのか、そういうことが課題ではないかと思います。市原市次世代育成支援対策地域協議会設置していますので、活用しながら取り組みを広げるための連携体制を作っていきたいと思っています。まだまだ始めたばかりで目に見える効果というものがありませんが、少しずつじっくり時間をかけながら浸透して、市には子ども育ちを支援する条例があり、地域の取り組みが子どもたちの心に残れば、その子どもたちもいずれ大人になり、支援してくれるのではと思います。それまでの間に、少しずつでも「地域の子育ち支援」というものをじっくり根付かせていきたいと思います。

 

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<質疑・応答>

山田:稲垣先生の方から恩寵園事件をきっかけにしての児童虐待防止のお話をいただきました。実は私自身も恩寵園の担当弁護士でもあったというところから、いろんな相談ケースがあって、よくある相談とか、エピソード的に紹介いただけると皆さんにも実感がわくのではないかと思いますがいかがでしょうか。

 

稲垣 秘密保持があるのであくまでも“エピソード”として。具体的に「相談」はありません。ここが問題です。むしろ私たちが声をかけていって発見するという状況が深刻なわけです。子どもたちからはなかなかSOSがあがってきません。子どもたちはSOSの伝え方がよくわからないからです。例えば先ほどの苦情解決のシステム、私どもに直通の電話があったり、私たちのところに届く郵便物があったりするはずの仕組みです。ところが子どもたちは電話をかけるお金が自由に使うことができなかったり、その電話が施設の職員さんたちがよく見聞きするところにあるので使うことができない、ひどいところに行くと意見箱が施設長の部屋の中にあります。

子どもたちは職員さんと自分たちの内情をよくわかっています。だから誰にどういうふうに何を伝えたらそれが自分たちのメリットとして返ってくるか、デメリットとして返ってくるかもよくわかっています。自分たちにはもしここを出たら安全・安心な場所は他にないということも知っていたりします。だから我慢してしまうところもあります。また、子どもたちの力はすごいなと思うことは、ときに職員さんたちをかばいます。なぜならばそこで自分たちが職員さんの議題を提供すれば、職員さんたちが叱責されるのを知っているから。本当に子どもたちの力はすごいなと思うし、私たちはそういった子どもたちに支えてもらいながら、何とかいろんなことをやっているというのが実情です。体罰だけでなく虐待全体として、元々子どもたちを不幸にしてやろうとか、腹いせに何かをしてやろうという人たちによって行われているのではなくて、その人なりの正義感で行われているとうところに解決の難しさがあります。自分たちの理念に従って自分たちとしては子どもたちを守っているつもりなのが、理念として認識しているものがずれているから、今度はそれが虐待の信念になってしまうような難しさを持っています。施設をお訪ねして職員の方たちにこういうところを改善してくださいとお願いすると「なんでそれがいけないのですか」という問いがよく返ってきます。

例えば子どもたちの食卓に子どもたちの目標が貼ってある。好き嫌いせずに食べましょうとか、あいさつをしましょうとか。そんな食卓が皆さん楽しいですか?今は食育ということがとても言われているし、食卓っていうのは団欒をして楽しくお話をしながらお食事をいただく場所であり、コミュニケーションの機会だと思います。ただしその際に他の人が楽しく食事をすることも侵害しない。だから他の人が食べるものにお箸を出したり、くちゃくちゃとか音をたてないとか、ひじをつきながら食べるというのはみんな楽しくないよねとマナーを伝える。また、いろんな命をいただくこの食事も感謝して食べようよ、いろいろな命をもらうおかげで皆元気に暮らせるのだから、残さず食べようねっていう学びながらのとして活かすのだったらいいのですが、遅刻をしないとか、おかたづけをするというのが机に貼ってある食卓はいかがかと思いますが、それを子どもたちを育むことだと、むしろそこに信念を持って取り組んでさえいます。

したがって、「ぜひその目標をはずしてください」というようなことをお話しさせていただくのが、生活の中の子どもたちの権利擁護だということを私自身も取り組みの中で学んでいます。

 

山田:非常に大切な問題提起だと思うし、4人の方の持ち場にすべて共通することじゃないかと思うので、もしよろしかったら稲垣先生の話を受けて、教育の場とか障害者福祉の場であるとか、善意であって悪意をもって悪いことをしようとしているわけではない、そこに生じる結果としての人権侵害・人権擁護の不足であるとかということについて他のパネリストの方が何かお感じになっているところがあればと思いますがいかがでしょうか。

 

朽名:実は家族の中で障がい者の問題というのはいっぱい起きています。普通であれば第三者であれば事件になり、当然警察が介入する形になります。例えばこんな事例があります。

「お父さんが一生懸命働いてお家を建て息子さんが一緒に住むようになった。でもなぜか住み始めてからは、台所に入れない、お風呂は入れない、玄関は使えない」実は家族のためにとお嫁さんが買って冷蔵庫に入れておいた物をお父さんが食べてしい台所禁止になってしまった。お風呂は、65歳以上のお年寄りの銭湯があるからそちらの方でいいんじゃないのと言われて、銭湯に行くことになってしまった。さりげなく「お父さんこんなの食べないでよね。孫のために買ってあるんだから」で済むはずだったのが、売り言葉に買い言葉「じゃ、いらね~よ。おれそっちの銭湯行くからいいよ」というような形になってしまった。それがきっかけで結局、障がい年金のお金が息子さんの方に使われてしまった。最初のいざこざが時間とともに誰も介入しないことによって大きな問題になっていきます。

宮木:学校の先生は基本的には生徒に授業を教える、悪いことをしたら指導する、上から目線ということ、学校の常識は社会の非常識だということもよく言われる。実際自分の信念を貫いて人権侵害を頻繁に行うような先生がいるのだろうか、いないとは私は断言はできません。ただそういったことが行われた時に、最近は子どもや保護者が黙っていない。知らせてきます。以前より増えたのではないかと思います。

いじめをなくすということは究極の目標。そのためにいろいろ特別授業を組んだり、道徳・人権教育を行っている。それでも起こる。起こったときに深刻化させないようなカバー・安全弁・命綱、そういうのを作っておくことも大事です。またSOSを出しやすい学校・学級の雰囲気作り。また先生がひどいことしたと言ったら気軽に誰かに伝えられる。それがちゃんと学校に伝わって改善されるようなルートは作っておく。それを利用する人が少しずつ増えてくるという状況にはなりつつある。そういう人権侵害する人はけしからんからみんな首だというのは話は簡単ですし、そういう思いもわかります。そんな先生はいらないよというのは正論。どんどん先生を切っていくということも一つの方法であるが、そういう侵害が起こったときに速やかに仲裁できるようなルートを確保しようというのも一つの方法。そういうルートが今結構できています。外部の人が学校に評価委員として入って、学校のほうも情報公開をするようになってきています。外部の目から遮断されたところで、こっそりと先生と生徒だけで誰も見えない、というような状況ができにくくなってきているし、そういった苦情を受け付けるような相談窓口も周知されてきているのではないでしょうか。結論としては深刻化しないようなルートをつくっておくということになると思います。

小宮:地域で守っていくことだと思います。お母さんたちが毎日子どもと向き合って直接的な子育てをしていて、もちろん悩みを抱えている人も多いので市の相談室にもたくさん相談がきています。一人で抱えてしまわないようにするような仕組みが大切で、相談窓口もたくさんありますが、地域で関心を持っていけるような支えあえるようなそんな仕組みづくりに取り組んで、子どもの権利を守れるような形になっていけたらと思います。

 

:さっき終わりのところで子育ち条例という話があったが、子育て条例ではなくて子育ち条例にするんだっていうその辺の議論は何かありましたか?

小宮:最初は市原市子育ち・子育て支援条例の名称で条例案の作成をスタートしました。子育というのは親に対する支援。子育てを支援することより、子どもの育ち、子どもの目線に立ってそちらの支援も必要ではないかという観点から子育ちということになった。子育てを支援していくことは子育ちへの支援につながる。ひとつ上を目指していく。そんな感じで子育ちとつけています。

 

:DV被害者を支援する会をやっています。宮木さんに。いじめっ子といじめられる子の関係を組み直すということで、今文科省は学校教育法の35条出席停止の制度をもっと活用したらいいと考えているようで、前に中学の現場の先生たちとお話をしたんですが、現場では非常に不評のようです。今までも活用されてこなかった、これから活用すると今先生方非常に躊躇しています。出席停止をして加害者と被害者を離してみたってそれでは解決はしないという考えが一つ。もっと実務的なことで、内申書にどう書けばいいか。これがもっとも先生方困っていました。出席日数だとか停止にしたら停止の理由を書かなきゃいけない。それを書いたら成績よくたって高校落ちるぞというのが現場の先生方のもっとも深刻な悩みのようでして、いったいそこをどうしたらいいのか 宮木さんのお立場でこの出席停止の処分に対してどうお考えなのか教えていただけませんでしょうか。

宮木:出席停止は実際に学校教育法にはずっと前からあるので、やろうと思えば今でもできます。実際にした学校もある。何年か前、非常に暴れる生徒がいて学校の授業が成り立たないと。その子をこらしめるわけではなくて、あくまでも他の子の教育を受ける権利を守るためのやむない処置で出席停止に。基本的に出席停止というのはそういうもの。いじめている子どもを深く反省させるために一時学校へ来ないで反省しなさいってことではなくて学校の安全を守るためにとる措置です。例えば伝染病。いじめっ子を反省させるためにやるのではないというのが法律上の基本的なスタンス。ただ緊急避難的にこれはどうしようもないいじめでそんな子と一緒にいられないよと、いじめた子どもと距離を置く必要がどうしてもあるというときに、出席停止を活用したらというのが今の流れ。高校で停学にすると内申書に書かなければいけないので、保護者の同意のもとに特別指導として謹慎とすることはあります。

出席停止というのは小中学校でもできますが、いじめている側の方を反省させるために使うというのは法的にどうなのかなというのがあります。緊急避難的にやるのであれば今の質問にあったような問題が起こってきます。これは現場の状況をよく知ってる校長が重要な役割を果たします。お宅の学校はこういう事件があった、この子はとんでもない子だ、出席停止にしろという命令は県教育委員会はできません。その現場をよく知っている校長の意見を基に市町村教育委員会が決めます。そのときに使うことはできます。使った場合、じゃあ内申書にどう書くのかという問題は当然出てきて、建前上は書かなきゃいけない。そこで躊躇するのかどうかというのは校長先生の判断でということになります。

また、出席停止にしたあとその子をどうするのか。毎日毎日家庭訪問して勉強を教えなきゃいけないときに人員がさけるかどうか、そういう問題もあるし、やがては子どもが戻ってくるときにその関係が修復できているのだろうかとか、どうやって修復させるのかとか、そういうノウハウが十分にないということもあると思います。現実には出席停止に踏み切るということは今まではなかったのですが、今後は増えてくるかもしれません。

 

:市原市から今日は条例について勉強したいと思って参加。稲垣先生が「いつも迷いながら行っているんだよ」ということがとっても印象的でした。私も福祉関係の仕事をしているのでアウトリーチの難しさ、困っている人が困っているって言えないということは本当に難しいなと思っています。第三者委員ですが、電話番号や住所などを利用者側に公開というのは委員会の大きいところを公開ですか?福祉関係の仕事をしていて、利用者さん側の声と私たちの個人情報の壁というのが大きくて、そこまでできていない現状です。その個人情報の壁を第三者委員をやるにあたってどうクリアなさっているのかということが一つと、「なんちゃって第三者委員」がいるってお話がありましたが、政府のケースワーカーっていうのは利用者と会いません。何ケースも持っていて会う時間がない。ケアマネとケースワーカーは話しますが、行政の顔は知らない。そのへんも含めて、先生は利用者さんと会って話しているっておっしゃいましたけど私が知っている高齢者のほうの第三者委員っていうのは会わない。児童福祉のところではどうなのかというところを教えていただけたらと思います。

稲垣:私たち第三者委員が、自分の住所や電話番号を公開するというのは本人の了解に基づいているので個人情報保護法には一切ふれません。むしろこれは社会福祉法の改正にあたって、サービスを利用する皆様の権利擁護のために設けられた制度なのです。例えば「お小遣いをあげてほしい」とか、「休みの日にもっと遠くまで行きたい」とか、「あの職員はうざい」というような訴えはたくさんあります。ですが相談をする力はなかなか子どもたちは持っていません。ですから出かけて行って、私たちの方から語りかけてまずは話してもらえる関係作りから始めます。だいたい子どものほうから発信してくれるようになるのに1年くらい通う必要が出てきます。信用した人でなければ子どもはSOSは出しません。だから出会って繰り返し話をして私はこういう人です、あなたも生活の中に入れてください。もしよければあなたの考えていることを聞かせてくださいと伝え続けます。

高齢者・障がい者の方たち、知的障がいを持っている方たちは、一人ひとり個性的な表現をなさるのでこちらから働き掛けて職員さんたちにヒントをもらわないとなかなかコミュニケーションが難しいところもあります。成人された方はご自分の世界を持っておられるのでご自分から発信してくれますが、子どもたちの場合には、特に私が会っている児童養護施設の子どもたちは施設を利用するということはその前に何らかの人権侵害を体験していますから簡単に大人は信用してくれません。当然試し行動が繰り返されるので、子どもたちにお会いすることっていうのは必要だと思うし、子どもは置かれた環境の中で自分の常識とか感覚というのを持っていきますので、信頼された感覚の中では権利主張できるのだけれど相手に関するデータが自分にないので発語することも難しかったりします。まずあるべき姿のときには「こういうことはこういうことがあると思うんだけどどう思う?」という問いかけをして、そういう意味では権利について学習してもらうためにも直接会うことが必要なところがあります。

したがってこの第三者委員というのは原則出会うことが基本だと思います。2000年に社会福祉法の改正があって、社会の中の方たちが知るところとなったのですが、今ここにお越しの皆様はたぶん子どもさんのことを中心に権利のことを考えておられると思いますが、例えば年老いたご両親を介護されていてその方たちが利用しているサービスにも第三者委員制度があること、子どもたちが通っている保育園にもあることをご存じでしょうか。こういう権利に興味を持っている皆さんでもなかなかご存知ないことなので、少し社会の中の情報から距離を置いておられる施設利用者の方たちっていうのは職員の方たちは、当然のことながらよほど皆さんが積極的にアプローチをしてくださらないと、我々が自分のしている子どもたちに関することだけではなくて、利用者の方々が使うことができるサービスについても十分周知を図る努力というのを常々していくことが必要です。

 

:1歳児に権利ってどうやって伝えたらいいのでしょうか。

稲垣:これはいつもとっても難しい。その年齢に合わせて、0歳児から6歳児・小学校児・中学生にどうアプローチしていくのか。この子たちに話をしてもらうのには時間をかけ様々な方法で一人ひとりの子どもを知らなければいけないので、足を運ぶしかありません。そして、専門性や権利擁護の観点から代弁すること。

しかし、同じ子どもに関わっている様々な第三者委員がみんな同じことをしているかというと、地域性もあり遠いとこまで出かけていくのはやっぱり大変。房総半島の隅々まで児童福祉にかかわる人間や大人がたくさんいるわけではないので、そういうことができる大学教員の数も限られています。また子どものことを代弁される弁護士さんもそんなに多くはありません。

学校の元校長先生とか、地域の民生委員さんなどが務めてくださることもありますが、私ども福祉関係者が教育のことがあまりわからないように、教育関係の方は子どもに関わるプロであっても福祉の施設で権利擁護のために何をどうしていったらいいかっていうのは必ずしも詳しいわけではありません。大切なことは、それぞれの立場の方がバランス良く参加して下さることですが、人材不足が否めない。その結果コンプライアンス上課題があるので第三者委員を置かなければならない。それを置くために頼んで第三者委員になってもらう。頼んでなってもらった以上手間暇をかけると迷惑だからかけない。だから施設の行事くらいしか来てもらえない。ということが実態だと思います。そういう意味では私どもがまだまだ努力をしていかなければいけないところだと思っています。

:政策提案されるわけですよね。それはちゃんとルートに乗っているのですか。

稲垣:乗るときもあるし、施設の中に起きたことでも外に出してしまっていいときと、事実はある程度確認はできているんだけど、まずは基本的に当事者性にゆだねてご自分たちで解決の努力をしていただきます。ただし私たちは見てますよということを絶えず伝えていく。これ以上子どもたちが被害にあうことは絶対認めませんよという強い態度はとりますが、情けない社会福祉が抱えている事情で、慢性的な人手不足がいかんともしがたいところがあって子どもの施設で不適切な関係に気がついて職員さん処分してくださいと取り除いてしまったら明日から子どもの世話をする人がいなくなってしまうという問題が発生してしまいます。ですから速やかに事態を止める、そして二度と同じことが起きないような制約をかけつつ改善を促していく、それでも改善しない場合は最終的なプランとしては法的な権限や介入を促していくということになります。

なかなか現状ではこれだけ就職難と言っている時代の中で、職員欠員のままの児童養護施設が千葉県内にもあるのが実情です。そこでは今いる職員さんたちが、労基法違反に近い状態で働きながら子どもたちを守ってくれているので、私たちも不適切なかかわりを見つけたときにコミュニケーションをとると職員さんは辛い感情を吐露します。叩きたくて叩いているんじゃないということが伝わってきます。でも叩かれてる子どもたちの人権は明らかに侵害されているので、私たちがその方たちのストレスを抜きながら本来その方がしたかった仕事・しなければいけない仕事をしていただくことができるように現場を支えていきます。それをしていくのは当事者が自的システムとして創設した我々第三者委員の仕事かなと。

もちろん告発をしていく、施策を変えていくという努力もして、評価結果というのを関係者の間に公開しています。ただそのような状況の中で労働問題がからんでくる難しさもあって、解決できない事例も抱えつつの活動ということになります。

 

Q:障害者福祉の世界ではある時期に大規模施設を作って、それに対する猛烈な反省が起きてコロニーは否定していると。徐々に進めていって入所施設も否定して、今グループホームがという流れがあるが、児童福祉の世界では今でも150名・160名という施設がありますよね。そういう当事者努力もそうですが、そういう規模自体が施設の人権侵害を生む温床にもなる。そういうものって関係当事者が集まって話し合う課題だと思います。

そういうところには関与しないんですか。

稲垣:もうすでに児童福祉の領域は大舎制の施設は法律上設置が認められなくなっています。原則は小舎制、あるいはユニットで大規模施設は今解体の方向に向かっています。千葉県でも100床を超える施設は一つ二つ、富浦学園も小舎に移行しつつあり、政策的にも児童福祉の分野も脱施設化が進んでいます。ですからこれからの子ども家庭福祉の政策の中で、従来の施設中心の社会的養護の対象となる子どもたちの支援を、三分の一在宅・三分の一施設・三分の一里親へと移行していくという施策がとられているので、すでに政策的には舵をきっていて、私たちがしなければいけないことは政策が意図している方向に、サービスをどう変化させるかです。グループが小さくなったからうまくいく、ノーマライゼーションや家庭的な支援ができるというわけではなくて、そのグループにあった支援というのを作っていかないと、逆に小規模であることは人間関係の力量の葛藤になり、メンバー間の調整がうまくいかないと少人数であるための葛藤が生まれます。

これは被虐待という体験をした子どもたちの場合深刻で、グループの仲間の課題が自分の「トゲ」になることがあるので、その少人数のグループをどう作るかというのは高い専門性が必要になるところです。児童養護施設はずっと今まで大舎できました。大人数の子どもたちを職員さんが互いに助け合って支援をするということを長らくしてきたので、その少人数の子どもに生じた葛藤に介入していくだけの力を持っている職員さんは必ずしも十分いません。その結果子どもたちの間でも多勢に無勢が生じて、子どもから職員さんがいじめられてやめてしまうということもあります。制度施策的には今、ご指摘の脱施設化の方向に展開してる状況にあって、むしろ私たちがやらなきゃいけないことはそれを実現するサービスの質を変えていくことです。

 

:私も少し児童福祉のほうに関わり、現実に評価委員会の人が来るときは、そのように準備をされているという現実もあるということを少しわかっていただきたい。今の小舎の問題ですが、職員が足りません。続けていけない現実っていうのもあるので、どうぞその辺を他の人たちもわかっていただいて、法整備をしていかないと。お金が回らないことには職員は増えないし、職員の質も全体的に低いと思います。ぜひよろしくお願いします。

稲垣:我々評価委員会、やや厳しい指摘をするので、実践現場に敬遠されることもあります。「評価委員が来るぞ。」「掃除しろ。」という実情があることは十分存じています。実習で巡回に行くときに私が評価委員だと知らないで受け入れる施設がある。その日は真夏に行ってもクーラーがないところで、あんな学生よこしてみたいな態度を取られる職員さんが、評価委員として伺うときれいに整った応接室に通してくださったりして、態度が全く違う。そこのところがわかりながら活動しているつもりです。ただ年に1回くらい口うるさい委員が来るから室内をピカピカにしてくれたら、子どもたちにとって気持ちがよければそれは間接的な権利擁護かなと思うところもあり、通い続けなければいけないって思っています。少しでも子どもたちの暮らしの改善に必要なことは、小さなことに気が付いたら言葉にしてお伝えする。ぜひ皆さんも一緒に考えてください。

今地方分権の時代になって子どもたちの支援というのは都道府県・市町村単位で考えるようになってきました。だから皆さんが千葉県や千葉市に対してどんな子どもたちの福祉を実現したいということを思ってくださるのか、それが我々プロが提言していくときのバックグランドになります。皆さんもご一緒に考えていただければ、児童養護施設というのは本当に少ない財源の中で未だに施設設置最低基準というレベルで予算が配分されています。ですから人件費もつきません。子どもたちの要保護課題が深刻化しています。お父さん・お母さんと一緒に過ごすことができない子どもたちの支援をしていると、そのニーズはどんどん多様化していますし、中には残酷な心身の虐待を受けている子どもたちもいるので、やらなければいけないことは肥大化しているのに予算は変わらず、人手変わらず。その中で求められるサービスの質はどんどん高くなっています。皆さん施設の子どもたちにも関心と支援のまなざしと声をかけていただければと思います。

 

:四街道市議の戸田と申します。最初に県教委の宮木さんにお聞きしたいのですが、私今子ども教室で子どもたちと接することが多く、そこに来る子どもたちの中に学校の中で居場所がないと思われた子どもが多いのです。その子どもたちはいじめられていたり、いじめられる側であったりで教室の中でもときどきいろんな問題を起こします。子どもたちの話をいろいろ聞くと、本当に今の家庭が私のころと想像つかなかったようなことが起きていて、ある子はお母さんが夜の10時にならないと帰ってこない、それまで一人で待ってるんだというような子どもがいたりとかで、そうなると今のいじめの問題とかいろいろあるんですが、私は学校とか教育委員会に福祉と学校と家庭をつなぐスクールソーシャルワークという役割を担った人を配置してほしいなと思っています。国でもスクールカウンセラー、スクールソーシャルワークの増員。そういうところも含めてお話いただきたいです。

市原市の小宮さん。議員という立場で子どもの権利条約がなかなか自治体の中で条例化されていかないというとこでは非常に気になっていました。市原市が子どもの権利条約の理念を取り入れた形で作られたってところでは本当に拍手したいところです。これで一つ切り口ができたかなと思いました。子どもの権利という言葉が入ることによって、議会のなかでもいろいろなことがあったと思います。子どもの権利、子どもの権利なんてとんでもない、子どもに義務を制定して教えなきゃいけない、権利なんてとんでもないという意見を持っている議員さんもいます。そういう議会への対応と条例を作るにあたって教育委員会との連携の部分、どのようなところが苦労されてどのようなところ実現できたのか。また、子ども会議を持たれています。これはとてもいいと思います。子ども会議の持ち方、子どもたちからどのような意見が出たのか、それでこの条例に反映された部分があるのか。子どもたちから意見が出たけれども、市のほうでは条例として組み込むことができなかった部分があるのか、その辺をお答えいただければと思います。

宮木SSWスクールソーシャルワーカーにつきましては、戻って調べないとお答えできませんので報告が出るときにお答えできるようにしたいと思います。

 〔県では、次年度よりスクールソーシャルワーカーの勤務時間を増やす予定です。〕

小宮:市原市の子育ち支援条例ですが、議会との対応では、この条例を作る前から何度か議会でも子どもに関する条例を作ったらどうですかという質問もあって、検討しながら進めていきますということで、21年度から着手してきたところです。権利についてもっと盛り込んだらどうかというお話もありましたが、まずは地域社会全体で子育ちを支援していく取り組みをさらに高めていこうということに主眼をおいて、全国的には子ども条例というようなタイトルの条例が100ぐらいあるんでしょうか。権利を主体とする条例もありますし、子どもの健全育成などもありますが、市原市としてはあまり権利に特化しないような形で、地域での子育ち支援というものを主眼としてまとめていくということ、あえて義務的なものは条文の中に入っていないので、そのあたりの厳しいやりとりはなかったと私は記憶しています。教育委員会との連携については、子ども会議を開くときも学校・教育委員会の指導課に協力をしていただいて、教育委員会の指導課の先生にコーディネーターを務めていただいたりしながら子ども会議を開いた経緯もあります。学校としても役割があるので、校長会に説明をしたり、地区別の懇話会を市内7会場で行い、その中には町会長さん・民生委員さんなどの地域の方・企業の方・学校の先生方に参加していただき、そういった先生方にも直接関わっていただく形で会議を開くということを実施してきた経緯があります。

子ども会議でどんな意見があたかということですが、例えば子どもの中からはあいさつしてもなかなか返してくれない大人が多いという意見が結構あった。最近では地域の行事が減ってきているという意見もありました。そういったことを受けて条例の中では地域の役割というところには、あいさつ等によってコミュニケーションを活発化させましょうということを盛り込みました。地域の一員と認識して経験や学習の機会が得られるようにという表現も、地域のお祭りなどをやることで子どもたちも地域との繋がりを持てるし、大人も子どもにそういうことを教える機会になるのではないかと考え、条例に盛り込んだ一つだと思います。

特に意見で入れられなかったところは、今すぐ思いつかないですが、いろいろな方々の意見をなるべく取り入れて、全体的とのバランスもある中で調整した結果が今の条例になっていると思います。

 

:市原の桑田と申します。小宮さんに。子どもの人権っていうとこれ以子どもがわがままになってどうするって意見が必ず出るんですね。子どもたちにどのように教えていらっしゃるのか。朽名さんに。さきほどおじいちゃんがお風呂にも玄関も使えかったけど解決なさったと、どういうふうに解決なさったのか教えてください。宮木さんには、私も小学校の先生と会うことがあるんですが、本当にお忙しいんですよね。いじめの問題はもっと先生が余裕を持って子どもたちと話す時間とか、そういうのがないとこういういじめはなくならないんじゃないか。ゼロ宣言とかじゃなくて、もっと働く先生方の職場環境それをきっちりするのが必要なんじゃないかと思います。特に県の派遣の講師の先生って1年でぐるぐる変わってしまう。それだと教師同士の連携もできない、子どもたちもできない、ぜひここは先生方の待遇をよくしてじっくり子どもたちと向き合ってもらいたいと思います。それについてどうお考えかお聞かせください。私も市原でこの条例ができて、子育てじゃなくて子育ち、子どもたちの人権ということ子どもたちが育っていくのを応援しようということでいいなと思って、つい先日子育て中のお母さんに今市原でこういう条例ができたのよって言ったら「え~知らなかった。じゃあ何が変わるんですか?」って聞かれました。

小宮:何が変わるの?ということですが、なかなかすぐに変わることが見えてこないのがこのような理念的な条例ではないかというところもあります。少なくとも私は常に笑顔というのを意識しております。今回はこの条例の役割に関しては、皆さんがわかっていても忘れかけている部分もあると思います。例えば子育ての大切さとか、あいさつのことを一つとっても、みんなもうわかっていることだと思います。この条例によって、思い起こしていただくきっかけにして、何か取り組みをしていただけるのではないかと思っています。最近では子育てサークルの方が市に「もっと地域の子育てサークルなどの情報を発信してほしい」と投げかけてきてくれています。これもこういう条例ができて「地域で子育てをしていこう」「親たちも頑張ろう」という表れなのかなとも思います。まだ条例を作ってから期間がたってない部分もありますが、少しずつ効果が表れているのかなと思います。

宮木:私のような立場で県教委として改善しますよとは言えませんが、先生方は確かに忙しいです。その中でも頑張っていただいています。何とかしたいとは個人的に思っています。

本当に現場の先生方は大変ななかでも指導をしていると聞いています。もっと根本的に環境を変える、給料を上げるとか、労働時間を短縮するとか、教員の数を増やすとかとなりますと、指導課の範囲ではなくなります。できる限りで先生が働きやすいような職場にということはもちろん考えています。

朽名:この相談は、父親の子育て時代の問題もあり、私どものほうにお父さんが訴えてきたとき、息子さんはあまり父親に関わらないようにしている。お父さんとは売り言葉に買い言葉でけんかをしている。その中に入ったお嫁さんもやっぱり自分の子どもを守りたいという思いで、私たちが入っていきお互いの思いを聞かせていただきました。息子さんもお父さんのこと嫌いなわけじゃない。息子さんは、お父さんの生活態度を変えてもらいたい、何もしないで一日ゴロゴロしていて・・・というような思いがあった。その辺のところも伝えることによって、お互いに少しずつ改善。この方の家の問題は、実は経済的に困窮をしていた、それが一番の問題。根本的なお金の問題をやってあげないとこの家庭の中はうまくいかない。

稲垣:私だけではなくて子どもの権利に関わっている方たちがよくぶつかる課題だと思います。権利というのは義務を果たさなければ認められないとか、まずは責任といった誤った考え方があるので、人権は条件つきではなくて認められているものであって、条件があるとすれば他者の人権を侵害しないという範疇で、なんでもかんでも自己主張が認められるということではないということ。まずこのことが多くの方々に理解されていないので、わがままと権利の誤解もあって、このわがままと言われる状態にあるお子さんは、むしろ権利侵害をされていると理解できます。我慢をすることとか他者を尊重することとか譲ることを知る機会を提供されていないとも言えます。

私たちは社会を形成して生きていきますから、そのための生きる方法として他者に譲ったり尊重したりすること・命を大切にすることを知る権利を子どもたちは持っていると思います。そのことを子どもたちに伝えていかなければいけない。私たち大人もそれを上手にできなくて、子どもの興味関心を変えるために子どもが「なんで」「どうして」って言った瞬間にお菓子を出すとか、おもちゃを渡すとか、黙ってもらうための取り引きにしてしまう。そのツケがたまった結果子どもたちの知る権利を軽視してしまうということが起きてきている。

私は最近、アメリカやカナダに行っていたときに驚かされたことがあります。学童保育の現場をお訪ねしや時のことです。日本の施設などをお訪ねすると、大概応接室か会議室があって子どもたちの様子を見せていただいた後はそちらに行ってお話しを伺うってことが多いのですが、そこでは、子どもたちがいるところで職員さんたちが説明を始めたんです。子どもたちの頭越しに。私たちはその間子どもたちへのケアが止まるので、子どもたちに悪いので別のところに行って話をしませんかと言ったら、「いいえ、この子たちは私たちが大切なお客様をもてなしているってことがわかっています。待ってくれるから大丈夫です」と応対が返ってきました。子どもへの信頼ですよね。あるいは子どもたちも職員さんたちが自分たちに、「待っていてね」って言って大人同士で話しているときは、そこに大人同士の大切な話があるから、自分たちはそれを待たなくてはいけないということを理解しているので大変静かに待っててくれます。残念ながら私がかかわっている日本の子どもたちの施設などで、私が子どもたちにこういうかかわりができる所はなくて、難しいなと思うところでここのあたるを少し勉強しなければいけないなと思ったところです。子どもたちは権利を十分に理解すると私たち大人の権利を尊重してくれる存在になる。子どもたちに教えてもらったところです。

そのときに権利というものをどうとらえていくかっていうのが絶対的なものとしてはなかなか難しいのだと思います。アメリカやカナダで行われている子どもの権利に関する活動を日本に持ってきて、それが日本で速やかに行われるかというと、これは文化とか宗教とか家族観が違うのでいきなりは持ってこられないです。本当に徹底的にやろうと思うけれど、私の中にはまだ未消化な部分があるのです。私はお母さんの支援が本来の専門なので、不適切なかかわりをしていると指摘されているお母さんが、実は一生懸命愛情を注いで、頑張っている。でも方法がわからなくて、やり方を間違ってしまった結果不適切なかかわりになってしまう。そんなお母さんを見たときに、子どもだけを見て権利を侵害されている状況だから親権を停止して子どもを離すという方針はなかなか日本ではできないところです。

しかし、カナダなどでは徹底的にそれを行使するところもあります。それが家族にとって子ども主体に考えたときに幸せになるのかどうかというのは私にはわからないところです。コンプライアンスであるとか、理論としての権利といったものと、暮らしの中にその権利擁護を落とし込んで行って人と人との関係性の中で調整していくという場合には少し私たちがその人たちとともに時間をともにしながら知恵を使いながら、方向を探しながら応用していくところは必要かなと思います。

わがままだとおっしゃる方のかたわらに行って、なぜその方がそう考えたのかを根本からときほぐしていかないとなかなかそういう人たちの価値観を変えていくのは難しいです。

 

:茂原市の内山と申します。子どもは19歳で、この間「最重度マルA1の知的障害」という療育手帳をもらいました。この4人の方の中で最近アウトリーチという言葉が出てきましたけど、学校だけがアウトリーチをしていないんですね。要するに家庭訪問。ずっと小学校とか中学校とか特別支援学校って話し合いながら子どもを育てていたのですけど、小・中は途中から家庭訪問がなくなりました。学校の先生はその子どもの背景がわかりません。どんなところに住んでいて、どんな生活をしていて、どんなお家に住んでいてっていうのがわからないで、特別支援学級の先生も一人だけ訪問してくれた先生がいたのですが、その先生は家の中で1時間か2時間くらい話しこんだんですけど。あと他の先生はうちの事情をわからなかったので、うちの子障害児施設に入っていてそこから特別支援学級に通っていたのですが「週末に帰ってくるんですね、いいですね」って単純に言われてしまったんですけど。

家に帰ってくると支援はなにもない状態で2年くらい過ごして今はケアホームにいます。

学校が訪問をやめちゃったっていうのはすごく損しているなってところを感じているんです。いじめとかいろんなことを考える上で、その環境とか周囲の状況とか考えるのに大事なことだと思います。それと稲垣さんに、うちの子の行っているケアホームは子どもは喜んで行っているのでそう悪くはないところなんです。でもその第三者委員が“なんちゃって”だとたぶん思うのですよ。私、施設長と喧嘩しちゃうと出ていかなきゃいけないから穏やかに話をして、なるべく、施設長も知識を多く持ってないと「これはこうですよね」といつもそういう感じで、決して喧嘩をせずうまくやりとりをしながら誘導しながら子どもを預けているというところで、大変苦労しています。これをどうしたらいいのでしょうか。

宮木:家庭訪問については、なんでやめてしまったのかということはよくわかりません。

家庭訪問をしなければいけないという法律なり規則はないんだろうと思います。一般的には家庭のことを知るということで、家庭訪問に行く場合が多いかなと。10年前から土曜日が休みになったりして授業時数を確保しろと、そんなに短縮短縮と言われても授業を短縮できないよといような流れもあって、行事を精選しなさいという指導も入っています。そういう中で家庭訪問に行く時間がとれないというふうに学校側が判断したのかもしれません。家庭訪問に行かなくてもおいでいただくとか、そういう面接週間みたいなものは作っている学校がある。小・中学校の場合なぜしなくなったのかというのはちょっとわかりません。

朽名:実は私の子どもも施設を利用しています。月曜日から金曜日まで利用して土曜日・日曜日はお家に帰ってきます。家に帰るとほとんど一睡もしないです。やっぱり子どもたちには子どもたちの生活のリズムがあって、家は起きていて一晩中お母ちゃんの顔を見てるもんだみたいなそういう子どもです。施設の中で実は私たちは代弁者にならなきゃいけない。喧嘩をしないでって確かにそうなんですね。喧嘩をしてしまったら追い出されてしまう。追い出されたら他に行くところってないから、紹介の施設のところの親は訴えてこない。訴えたとしても中に介入しないでいいからね、一応聞いといてちょうだいというような言い方。

私たちはどう思ったらいいのかって迷いもある。今回施設の中で職員さんのほうから「朽名さんちょっと来てください、私の施設に」ということでお邪魔をしました。そしたら床にじかにお布団が敷いてあって、その方は、汚す子どもなので部屋の中が不衛生で、「こういうところで寝てるんだけど朽名さんどう思いますか」と言われた。本当にタイルの上に布団が敷いてあってそれも非常に冷えるようなところなのです。施設長とお話をさせていただいて、権利擁護の部分で「私たちがそこで寝ろって言われたら寝ますか、真冬のタイルの上に布団一枚だけで寝かされて寝ますか?寝ないですよね。だから畳を設けてもらいたい。」と。ところがそこには理由があった。すぐにやぶいてしまう、すぐに壊してしまうということだった。「どこも壊れないような金具にして、いつもきれいにしているんだなって思えるような場所にしていただきたい」とお願いし施設のほうでやっていただいた。だから誰かが声をかけてくれることによって早くやっていただけたので、ぜひぜひ黙ってないで声をあげていただきたいなと思います。

稲垣:ご紹介いただいた私の肩書きに千葉県児童福祉施設協議会施設生活評価委員会とあります。なぜ生活を評価するかというと、まさにその子どもや利用者の代弁者なんですね。相手の立場に立って施設の生活を見てみれば、今言ったようなピータイルにそのまま寝ているなんて居心地がいいわけない。子どもたちの立場になって生活を見ていたら、壊れた家具があって居心地がいいわけがない。あるいは児童養護施設に行くとよく子どもたちは食事をするとすぐ食器を洗っている。でも皆さんのお家で小学校のお子さんがご飯が終わったあと食器を洗ってるところ何件おありですか。あるいは皆さんどうやって食器を洗うようになったでしょうか。それは大人がやってくれて心地よさを体験したから「あれはいいな」って真似をしていく。これはどんな重度の障がいの人であっても、私は環境によって開発されていく可能性ってあると思っています。居心地のいい環境の中にあって、動機が触発されると変化をしていくんじゃないかなと。子どもたちも同じだと思います。もともと育ってきた家庭の中で提供されないものであっても新しい環境の中で心地よいものが提供されれば子どもたちはそれをつかみとっていって自分の力に変えていって、それは自立させるものではなくて子どもたちが自ら獲得していくものだと思います。

  私たちは日々の暮らしを見せていただいて、暮らしの場面の中にあるものを利用者の方々の代わりに居心地のいいものにしていく、それは私は一つ子どもたちは権利を持っている、そして私たちはそれを代弁していくことだということで細かに暮らしを見させていただいている。こういったことは私たち関与する人間が暮らしを大切にしていれば気がつくことで、決して難しいことではない。もっともっと暮らしに関心を持った人たちがたくさんいて、困るまで他人ごとにしないことが大切だと思います。社会福祉というのはどこか困るまでは他人ごとで我がこととしないところがあって、言葉を選ばずに言えば、かわいそうな人たちのためのものというイメージがあります。もうひとつその延長で言うと「だったらこの程度でいい」っていう価値観がどうしてもうまく払拭されないところがあります。それは申し訳ないことで、私たちの努力不足です。

  でももう一つの中で日本は政策的に作ってきた社会福祉のサービスが足りないので、民間の方たちが善意や思いで立ち上げてきたサービスでその不足を補ってきたところがある。 そうすると初代の方はある程度の志を持って始めるんですが、二代目・三代目になると形式的にサービスを受け継ぎ始めるとそこで心がこぼれおちていって、対価をもらえる作業に陥っていくことってある。それを止めるために権利擁護の制度というのを施設サービスの中に制度として創造していかなければならない状況になってしまったところがある。

  ある施設に行ったときに職員さんが涙ながらに訴えてきました。その方はご自分もお子さんを育てている方だったので、「この子たちにもうちと同じご飯を食べさせてあげたい」「ここの子たちうちの子にしてあげるようにしてあげたい」ノーマライゼーションってそういうことだと思う。でもどこかで社会の方たちは、社会福祉のサービスってこの程度のもの・施設ってこの程度のもの。だから施設の職員さんによく申し上げるのは、あなたたちにとっては職場かもしれないけど利用者の方にとっては暮らしの場だから、人の暮らしに介入させていただく意識をいうのを持ってくださいということです。あなたの暮らしにあなたの暮らしを大切にしない人が土足で踏み込んできたらあなたはやだって言うでしょう。利用者の方だって同じです、それをわかってくださいと伝えています。

  私たちが、社会福祉の必要性、それはすべての人たちに必要なもので、そしてすべての人たちにとって暮らしをたてていく権利があってその為のお手伝いをするのは大人の責任であるということを、十分お伝えしていない結果によって生じていることだと思います。制度を作ったけど魂入れることは?で私たちの責任だと思います。申し訳なく思いますし、これからも努力をしていきますので、ともに声をあげていって力を合わせていただけたらと思います。

 

:学校における子どもの学習権とルール研究会という会をやっています杉多と申します。

宮木先生に。いじめの定義が変わりましたけど、この定義からすると例えば突然叩かれた・暴力をふるわれた、みんなの前で大声あげて怒られたとか、どんなことでもいじめと定義されうるということになります。千葉県として、調査をして報告をあげてもらうとき県として指導というのはしていらっしゃるのか。例えばこういう感じだといじめなんだけど、なかなか微妙なところがあり、これはいじめであると認定するかしないかという問題があって、そういうところで県としてどういうことがあればいじめ・どういうところがあればいじめでないという一定の見解というのをご指導されているかどうか。

 14ページのいじめ相談件数ってところですが、受けた相談に関してどのようなルート・方法を使って相手の学校に認知をして、具体的にどのように解決に向かっているのか、おそらくは被害者側の相談・学校側の相談が多いと思われますが具体的にどのようにして解決までもっていくのか。厳しい言い方になるかもしれませんが、いじめのお話をされていて人権という言葉・子どもの人権という言葉が出てこなかった。少なくとも今は日本の学校では人権という概念がなじまないところがあるのかなと感じる。例えば病院なんかでは患者さまの権利に関して大きな病院では必ず玄関に入ったところに貼ってありますね。学校において玄関は入ったところに子どもの権利・あなたは安全・安心に暮らすことができますよとか、例えば先生にわからないところは質問することは出来ます、あなたが苦しいことがあったら訴えてそれを先生・学校に解決してもらう権利がありますから、そういことについてはどのように分けて考えてらっしゃるのか。

宮木:一番目の件数をあげてもらうときに、これがいじめ・これがいじめじゃないと指導しているかについてですが、質問があれば答えますが基本的にはこの定義に則って判断をして決めます。あげてくる数字というのは先生・学校が確認した認知件数なので、基本的には学校が関わった件数、いじめをただ見てカウントしているいのではなくていじめがあってそれに介入した。これはいじめだよ、これはいけないことだよというふうに介入した件数です。こういったいじめが起きて相談機関に相談があったときにどうやって解決するかということですが、基本的にはいじめに関しては教員の指導なのかなと思います。相談で終わる場合もあるし、相談内容によって学校につなげたり、児相につなげたり、それは相談を受けたほうで判断する。児童相談所が虐待案件ということで受け取れば児童相談所が関与する。学校に子どもの権利というのをポスターなどで掲げているかについてですが、掲げている学校もあると思います。千葉県全小・中・高の児童生徒には、相談場所はここですよという電話番号が入っているクリアファイルを配っています。

 

最後にひとこと

稲垣:願いは一人ひとりの子どもがその子らしく幸せになっていくこと。本学でスクールソーシャルワーカー、昨年度から養成始めましたのでいい人材を輩出したいと思っています。

朽名:障害者が地域で暮らせるようになるっていうのは地域福祉です。高齢者だって学校だって児童だってみんな同じ。だから本当はもっと身近なところにソーシャルワーカーがきちっと対応できる地域福祉ネットがきちっとできれば一番いいと思っています。私は関わることによって、ひとつひとつですが障害者が生活しやすい基盤を作っています。生まれてきてよかったな、この地域で生活できてよかったな、お父さん・お母さんいてよかったなと思えるような地域を作っていきたいと思っていますし、なかなか条例のPRが足りてないのでこれを機会に何かあったら電話番号に。必ず真摯に対応しますのでよろしくお願いします。

宮木:最近はいじめがクローズアップされていて学校も注目を浴びております。もっといいことで注目を浴びたいと思っていますが、いじめの問題は人数の問題ではないと思います。減っていればいいとか一人だからいいということではない。いじめを撲滅するために長い時間になるでしょうが、いじめをなくすための人権教育等を進めていきたいと思います。それと同時にいじめが起こったら迅速に対処するということも進めなくてはならない。いじめが起こってしまったから悪だというのではなくて、いじめが起こったときにどう対処したのか。迅速に対処したのか、見過ごしてしまったのか、そこについては厳しく言われてもしょうがないかなとまた厳しく問われなきゃいけないと思っています。いじめをなくすという長いスパンで考えるべきことと、今起こったいじめに迅速に対処するという短いスパンで対応すべきこと。この二つを同時に進めていかなければいけないと思っています。

小宮:今日は市原市の条例をPRさせていただく貴重な時間をいただきましてありがとうございました。これからも子どもの健やかな成長を地域全体で支えるという理念を掲げたので、これを実現するための具体的な施策の展開に積極的に取り組んでいきたいと思います。皆さま方も地域でいろいろな支援をしていただければと思います。       

以上

 

 

 

 

【第9回・千葉県子どもの人権懇話会 アンケート結果】(参加者40名 回答14名)

 

1.これまで懇話会に参加したことがありますか。

はい 8名  いいえ  6名

2.本会を何で知りましたか。

新聞・広報紙 1名(「ちば地域福祉」)  実行委員会参加団体 8名 その他 5名(内インターネット 1名)

3.「子どもの人権問題」についてのご意見があれば、お書きください。

・大人への啓発(理解の普及)がもっともっと必要だと思います。

・「子どもの」とわざわざつけなければいけないのが残念!

・子どもの人権というと「これ以上こどもがわがままになってどうする」という意見が出てきます。人権意識は大人が持たないと子どもたちにも伝わっていかないと思います。

・大人の善意からくる子どもへの人権侵害は日常的にも目にすることがあります。理解してもらうのがむつかしいなと思います。

・子育て→子育ち すばらしい

・初めて参加させていただき、色々な立場の方の話しがきけてとても勉強になりました。

・子どもの人権の理解を広めることは難しいですね。弁護士でも正しく理解していないと思います。具体的事例におとしてやっとイメージできるようなかんじです。権利をたて前として知ることよりも、具体的にどういうことなのか、発達に応じた具体例があると、理解しやすいのかもしれないと思います。(弁護士)

・子どもから声をあげるということは現実的には難しいのかな、と思います。ちょっとした言動の中から拾い上げるような環境整備、大人の感性が求められるのでしょうか。

・民間と行政の差がかなりあると感じました。とりくみや条例に市民の声を反映していただきたいと思います。市民の意見をクレームと言っている時点で差をかなり感じます。

・子どもにも、「言いたいこと、感じていること、考えていることは何でも発信してね」という強いメッセージをいつでもどこでも事あるごとに伝えていかないと、子どもは能動的になれないのではないでしょうか。大人の在り方が試されていますね。

・子どもの表現は、直截で、言葉足らず。そして、泣き、怒り、ぶつかるものですが、大人は覚悟して受けとめる度量をもつべきです。日々のことでむずかしいこともあるとは思いますが。また、それを独り一人の心構えにとどめず、明言化して掲げるべきです。シンポジストの皆さんの現場とは異なりますが、自分の現場で落とし込んでいきたいと思います。

・「何が差別かわかりにくい」とのお話が印象深く、周知活動の困難さが伝わってきました。そのために、差別の定義があることによりわかりやすくなっていると思いました。

・子どもの権利を尊重することによって、その子どもが大人の権利を尊重してくれる子になる。もっと早くこのようなシンポジウムに参加していたら我が子の子育てにもよかったかも、と思いました。

4.本懇話会に参加してのご意見、ご感想をお書きください。

・各分野の専門家の方々より具体的なお話を伺うことができ、たいへん参考になりました。

学校関係者として保護者として情報を共有したいと思います。ありがとうございました。

・素晴らしい会だったと思います。いろいろなお話をうかがえて勉強になりました。

・本当に内容の濃い会でした。ひきつづき子どもの人権について興味を持ち続けたいと思いました。地域に関心をよせていきます。何もできませんが。

・稲垣先生の、「生活の中の人権」というお話が印象に残りました。

・中身の濃いシンポジウムでした。ありがとうございました。

・子どもから苦情は言えない。言わない。ほんとに困っている人は表現しません。とても共感しました。誠実に回答いただきありがとうございました。

・知らないことがたくさんあり、大変勉強になりました。でも・・・行政、もっとがんばってほしいですね。権利義務や制度をつくっても、そこに自分たちの力でつながってくる親子は問題ないんですよね。ここにつながれない親へ、どうアプローチするのか、どう支援するのかが問題で、そこを手当てしないといけないのになーと思います。

・いつも的確なテーマでの懇話会をありがとうございます。自戒と使命を再確認させられるすばらしい会でした。又、市原の芽生えをきちんと育てていきたいと思います。

・権利・人権について学習する場と感じています。

・色々な角度から人権についてお話を聴けるよい機会だと思います。

・それぞれの専門分野で、ふんばってがんばっていらっしゃる方々の話しがきけてよかったです。千葉県の人権を守る第三者機関はこんなお仕事をされていることを、回りの人に伝えたいと思いました。

・苦情処理から苦情解決に「名称(?)」が変わっただけでもマイナス→プラスのイメージになっていることを知ることができた。

・「批判ではなく改善のためのサポート」この一言はすべての苦情解決に通じるので、今後の仕事に役立てたいとおもいました。

5.当懇話会の活動についてご意見があればお書きください

・いつもありがとうございます。コーディネートしていただき、考える機会を与えていただきました。

・来年は10周年ですね。歴史を感じます。

・引き続き条例について第三者サービス評価についてシンポジウムを行っていただければと思います。パネリストの方が4名でしたが、23名位でもいいのではと思いました。身近な「地域福祉ネットワーク」の活動報告等これからの立ち上げの必要性もあると思います。

以上

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・第9回「千葉県子どもの人権懇話会」報告集・2013年2月23日発行

・発行者・千葉県子どもの人権懇話会実行委員会事務局

・連絡先・〒260-0803千葉市中央区花輪町74番地の6

NPO法人千葉こどもサポートネット内

・℡043-266-8419fax043-266-2359E-mail :chiba-saponet@lake.ocn.ne.jp