千葉こどもサポートネット 10年を振り返って
                                      2014.4
                           元理事長 池口 紀夫

千葉こどもサポートネットは
  任意団体としては1992年に発足しましたが、当初の目的は苦しんでいる子どもたちを支援する団体のネットワークを形成することでした。現在に至るまで22年間の活動を続けてきましたが、痛感することは「人権」という価値観やその在り方がいかに日本社会に定着することが難しいかということです。そして、「人権」という価値観は常につらい悲しみの中から生まれてきているということです。最も愛してほしい親から拒否されたり、最も信頼できるはずの施設の中で暴力の恐怖にさらされたり、最も信頼できる教師から暴力を振るわれたり、と子どもたちにとってはまさに理不尽以外何物でもない現実の中からの叫びとして生まれたものであり、単なる理想の標語ではなく不条理を条理に変えなければならないという訴えとして受け止めなければならないことです。教育行為や申請により援助することで生活の安定を図る福祉とは本質的に異なることです。人権が守られ実現することの困難さがある一方で「継続は力である」ことを実感する日々でもあります。
 
サポートネットのスタート
 戦後社会にも人権の実現を目指した運動はありました。例えば労働問題、部落差別問題、障害児者の差別問題、公害問題、教育権問題、等々。しかし、発足当時大きな社会問題となっていたのは「不登校問題」でした。学校に行きたくても行けない苦しみは深いものがあり、子どもだけではなく親にとっても深い苦しみでした。義務教育の「義務」は社会や保護者に課せられたものであるにもかかわらず、学校に通うことが「教育の権利」ではなく、子どもの義務とされ、親にも「学校に来させる義務」の遂行を迫り、そのことが親子を苦しめ、社会は不登校児を「怠け者」「病人」「落伍者」扱いをし、そのことが子どもの自己否定につながり、さらに深く苦しめていきました。私たちはそう言った状況について勉強会を重ね、「不登校は子どもたちの選択的な生き方の一つである」との認識に至り、子どもと親を軛から解放する支援をする団体と位置付けていきました。

サポートネットの一つの転機
 さらに、全国的な問題にもなった人権問題は養護施設恩寵園における「施設虐待」でした。このことは福祉社会のみならず社会全体において子どもたちがいかに非人権的な伝統的価値観の中に縛られているかということをあぶりだしました。「言葉で行ってもわからないものは身体で覚えさせろ」「強い指導で従わせることができる教師や指導員が優れた指導者だ」「子どもになめられるな」「げんこつも愛情も表れ」として力を行使しない教師や、指導員は指導力が弱いと評価されたり、先生の言うことはその内容に正当性があろうとなかろうと子どもは従うもの、といった価値観は学校や施設の中では当たり前の状況があったのです。
 恩寵園で起きていた施設内虐待について当時の千葉県内の児童福祉施設も県当局も施設長を擁護しており、市民運動のみが子どもたちの側に立って支援運動を展開し、最終的には裁判で勝訴し、はじめて子どもたちの主張が社会的に認められたのでした。しかもこの運動を起点にして「全国施設内虐待を許さない会」に発展し、さらにこの運動は国をも動かし「児童虐待防止法」の通告義務に「施設内虐待」も指定することとなったのです。
 この時サポートネットはかろうじて被虐待児の側に立つという立ち位置を決め、多少は運動に参加したのです。でもまだまだ小さな運動体でした。

サポートネットの新たな展開
 この問題を経て、千葉県には、子どもたちが家庭内以外で受けた人権の侵害を受けた被害の解決を訴え出る機関(オンブズパーソン委員会)がないということがどれほど子どもたちを苦しめ、問題の解決を困難にしているかということを改めて痛感し、子どものための市民オンブズマンというべき「子どもの人権問題相談事業」を2004年からスタートさせました。事業体制を強化するために「子どもサポーター制度」を合わせて発足させました。
 いくら社会的な人権問題について発言したり、参加したりしたとしても、声を発することができないでいるひとりの子どもを救出することなくして人権救済ということは成立しないという考えでした。
 大事なことは子どもの人権は子ども一人ひとりに付与されたものであって、親のものでもなく、学校のものでも、施設のものでもないということです。

相談活動を通して学んだこと
 この活動をどのような方針とガイドラインで行ったかについては機会があれば改めてご説明するとして、この活動を通じて改めて学んだことがあります。
1、 子ども一人の人権と事業者の組織のどちらが重いかというと現実においては圧倒的に組織のほうが重く、かつ守られているということです。子どもの人権のほうが重くなるためには、市民の力が必要であるということです。国家の力ではなく、民主主義の力です。そこで子どもの人権に立った条理がきちんと示され続けることが必要です。声の大きさでもなく政治力でもありません。
2、 サポートネットに寄せられる相談は当事者と学校や施設との話し合いがもつれにもつれてにっちもさっちもいかない状態、話し合いが困難になっていることがほとんどですが、条理(具体的には社会的かつ国際的な基準)に立って問題を整理したときに、どう決着することが妥当なのかということをいうことを追求すべきです。
3、 大人同士のもめごとになってしまっていることも少なくないのですが、常にテーブルの真ん中には子どもがいるという前提で捉えなおさなければならないのです。こどもにとって、いつまでも問題が解決されず自分のことが大きな揉め事になっていることは耐えがたいことです。サポートネットは学校や施設、場合によっては親にも早期に解決する努力を求めます。
4、 子どもの人権が重みを増すためには、大人が子どもに暴力を振るいそうになったときにその手を止める社会の力が働かねばなりません。
5、  社会の力とは人権を侵害するとはどういうことかの「基準」です。子どもにおけるもっとも大きな基準は「子どもの権利条約」です。人類は大戦のたびに子どもの大量死を反省し「人権宣言」を発してきました。1959年に国連が発した国際的な「子どもの人権保障宣言」です。しかし、宣言ではその実効性が担保されないということで1989に国連は「子どもの権利条約」を採択し、1994年日本政府は批准しました。しかし、この条約では日常生活からは遠すぎて虐待をしている大人の手を止める力になかなかなっていきません。
 国連の子どもの権利委員会は日本政府へのカウンターリポートにおいて再三述べられていることが「権利基盤型の国内整備をすること」です。つまり、国内の子どもにかかわる法整備とともに、地域単位の身近なところでの「人権条例」であり、「オンブズマンシステム」であり、一人一人の救済を図るための権利擁護事業の制度作りです。また、子どもに関するあらゆる事業のガイドラインを権利を基盤にしたものとして作成するということです。そういうことが整備されれば問題を解決するときにそういった人類の知恵というべきものが話し合いの共通の基準となるのです。
 家庭や施設や学校は子どもたちにとっての最後の「守り人」のはずです。残念なことにその守り人から子どもの命が奪われているのです。子どもたちの「安心の場所」はどこにあるのでしょうか。私たちは人類の英知を集めた「子どもの権利条約」を「たてまえ」に終わらせてはならないと考えています。日本社会の特徴は「ホンネ」と「タテマエ」にあると喝破した人いました。そんな日本は変えていかなばなりません。
 条理がホンネになるために私たちは粘り強い活動を続けています。一つの案件で3年以上もかかっている現状があります。子どもたちに申し訳ないと思っています。
 しかし、この活動の最大の成果は決着がついたときの子どもたちの笑顔であり、その後の生きるエネルギーの見事さです。